ようやく長い寒さもなくなり、日中は穏やかに暖かい季節になりましたねー。
今日は先日の帰省中に行った「アンフォルメル中川村美術館」の事を書きます。
先日NHKのドラマ『TAROの塔』を見ている最中、松尾スズキ演じる岡本太郎がフランスで40年代から始まった「アンフォルメル」という美術運動を日本に紹介し、国内初のアンフォルメル画家による展覧会を二科展を通しておこなおうとする内容のくだりがありました。
僕は一応、大学で美術を学んでいたのですが、聞き慣れない「アンフォルメル」という言葉がちょっとだけ引っかかりました。
数日後、地元のブックオフで手に入れた『信州の美術館散歩―館長・学芸員が誘う』という本を読みながら帰省中の行動を考えていたところ、「アンフォルメル」の文字が目に飛び込んできました。その名も「アンフォルメル中川村美術館」。
そこで先日引っかかっていた「アンフォルメル」を調べてみました。
アンフォルメル
(フランス語:Art informel、非定型の芸術)は、1940年代半ばから1950年代にかけてフランスを中心としたヨーロッパ各地に現れた、激しい抽象絵画を中心とした美術の動向をあらわした言葉である。同時期のアメリカ合衆国におけるアクション・ペインティングなど抽象表現主義の運動に相当する。引用:Wikipedia
大雑把に言うと、動的で即興的な抽象絵画のことのようです。
それのみを扱う全国でも唯一の美術館であり、それが実家近くの中川村にあると聞いては、行かないわけにはいきません。
しかも美術館の設計は毛綱毅曠氏によるもの。ワクワクが止まりません。
美術館までは約20kmと近いので、自転車で行くことにしました。高低差も300m以内なので、まず問題ないでしょう。
この判断を後に後悔することになるとは・・・。
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当日の天気は曇り、チャリには最適な空気でした。
遠くから見たらこの周囲ののどかな風景にまったく馴染んでいない洋風建築にはじめ嫌悪感すら抱きましたが、近づいてみると驚くべきことに、建物のの下を水がドバドバ音を立てて流れていました。
この建物の正体、は昭和4年に竣工した「南向発電所」という水力発電施設でした。
昭和初期ときいて改めて眺めると、すっきりと美しいディテールがどこか庭園美術館(旧朝香宮邸)を思わせ、当時の発電にかける気概が窺い知れます。
またこんな建物も見つけました。
切り取られた家です。もともとは本棟造りの線対称と思われる民家が道路の拡張とともにばっさり切られ、無残にトタンが被せられています。
本棟造りとは伊那谷に見られる民家の種類で、山のような大屋根と妻入り、正方形に近いプランなどが特徴で、頂部に「雀おどり(雀おどし・烏おどし)」などの特徴的な意匠を持ちます。
本棟の民家は開口が少なく昼でも暗いので、ガラスの開口などを設けて現しにしたらいいのになーなどと思いながら走り過ぎました。
そして
迷いました・・・orz
もともと道なりに行けば着くだろうなんて軽視していたら本当に迷ってしまいました。
普段なら遠回りなど全く問題なくできますが、ここは坂ばかりの長野県。体力がどんどん吸い取られてしまいます。
今更ながら300mも自転車で登るなんて結構しんどいはずです。
幸いにも近くで畑仕事をしているおじいさんに道を聞き、役場の位置を確認して道が間違っていないことがわかりほっとしました。
そんなこんなでヘトヘトになりながら到着した美術館は、南アルプスの山々と天竜川を背景とする、実に贅沢な場所に佇んでいました。
壁からは角が生えていました。岡本太郎みたい
どうやって窓が開くのか興味津々で見ていると、横長の一枚ガラスがスライドして開きました。中の人はちょっと開けづらそうでした(笑)。
受付の人はどうやら村の職員さんで、ひとりでした。ここはなかなかの山奥で来客もほとんどないに等しいので、僕が行くといそいそと展示室の鍵を開けながら招き入れてくれました。この感じ、妹島さんの「飯田市小笠原資料館」以来だなあ。
作品は主に鈴木粔の作品を中心に十数点程度、スペースとしてはギャラリー程度の小規模なものです。
それでも具体芸術を先導した吉原治良の他、知った名前の画家の作品もありました。
ただ難点を挙げるとすれば照明環境はよくありません。
ガラスケースに収められた作品などは、照明の反射でよく見えなかったのが残念でした。
じっくり鑑賞していると「コーヒーでも飲みますか?」と職員さん。
美術館に鑑賞に来てコーヒーを出されたのは初めてです。
この季節はほのかに暖かい空間だけど、夏は5分と居られないだろうな。
平面を見てもこの建築のアヴァンギャルドさがよくわかると思います。
空間として、建築として美しいかどうかは正直微妙かもしれません。
ただし、ポストモダン当時に流行したアヴァンギャルドな建築表現とアモルフ的抽象芸術が混然一体となってこの中川の地に舞い降り、ミニマルかつ尖った建築を生みだしたという背景を鑑みるとなかなか面白いことに気付きます。
コンテンツと建築表現とが即物的に対応することには常に危険が伴います。
というのも、芸術作品がおかれた状況とそれを格納する建築として50年そこに建つこととは背景が異なるため、一歩間違えばキッチュなものに陥ってしまうためです。
この建築は人知れない山奥という立地条件なしには成立不可能であり、大自然に囲まれて如何なくエネルギーを発散させているように僕は思いました。
この日はアート、建築からエネルギーをもらって帰途につきました。