大分建築めぐり (2日目)
続き(1日目はこちら)
今日はまず九重夢大吊橋に行きました。山道をぐるぐるまわること1時間、深い谷地形のところにやってきました。ここに架かっているのが九重夢大吊橋です。
橋は3軸のワイヤーで支えられ、中央部分が緩やかに湾曲しています。向かいからやってくる警備員らしき人たちは危険行為を防止するために常に往復しています。起こりうるリスクには万全の対処。これが日本じゃないとこうなります。
下を眺めると、色とりどりの木が珊瑚礁のようでした。「フラクタル」という考えでは自然界には直線はなく、その形態は微分可能でなおかつ自己相似するという特徴があります。つまり自然界にある限り、珊瑚礁、上から見た木、更にはぼくらの体の中の細胞や器官も似た形をもっていて、そこに断絶はないということ。この見下ろす木々がとても近くに感じました。
橋を渡り切ったらみんなでソフトクリームを買いました。みんな仲良くミックスを注文。
吊り橋を後にして、一同はラムネ温泉へ。その道中に精肉店があり、唐揚げを売っていました。
さっそく注文します。普段は地元の人しか来ないような雰囲気です。
・・・食べブログっぽくなってきてしまったので軌道修正をして、建築めぐり再開です。
ラムネ温泉
設計:藤森照信(2005)
全景。
もともとこの屋根は鮮やかな銅色をしていたんですね。こちらのページで知りました。
軒の端部。木の垂木に銅板を折り曲げて処理しています。結構ざっくり。
ちょっとだけ飛び出した大棟が特徴的です。壁は白漆喰と焼杉柱の真壁造りに見えますが、これだけ密に柱を林立させると言うのは構造的にもあまり合理的ではないし、経費も大変なことになってしまいます。おそらくは生乾き漆喰壁に薄くスライスした焼杉板を貼っていったのでしょう。
ちなみに真壁造りとはこのようなものです。
こちらの柱はれっきとした構造材です。
ラムネ温泉のキャラクターと同じ顔をするまきのさん。
ラムネ泉には初めて入りましたが、温度はぬるく、泡がたくさん体にくっつく面白い温泉です。
女子風呂の方からは賑やかな声(主におばちゃん層)が塀を越えて聞こえてきますが、男子風呂は誰もしゃべったりせず、微動だにせず、ゆっくりと泡が全身を覆うのを静かに楽しんでいるといった雰囲気でした。出入りする人もその雰囲気を感じとり、波を立てないようなるべく静かに出入りしていました。
場における振る舞いに、圧倒的性差がみえた瞬間です。
ギャラリーを抜けると、展望台のようなところに出ました。ベタなイメージですが、宮崎アニメに出てくる国籍不明の小屋から眺めている気分です。
5本の柱が林立するギャラリー空間。篠原一男の「白の家」が一瞬頭をよぎるほど印象的な柱の使い方です。
この建築は女子たちから「カワイイ!」と評されていましたが、建築における「カワイイ」とはどのような意味なのか、少し考えました。
(興味がなければとばしてください)
関連しそうな要素を分解してみると、
・ところどころ飛び出した急峻なヴォリューム
・屋根から突き出た松の木
・黒と白の北欧メルヘン風な佇まい
・地面を覆うオカメザサ
・建物が全体的に小さく、一部屋根が突出して大きい
・なかなか見ない急勾配の方形屋根
ここで共通するのは「超現実感」、つまりシュルレアリスム。現実世界(というより現在の日本)でなかなかお目にかかれない上記の要素は、それぞれ断片的なイメージの混成物であることがわかります。子供が描きそうな、ちょっと幼稚なイメージと言えるかもしれません。
子供の描く世界はきちんとした遠近がとれていなかったり、物と物を簡単にくっつけてしまうという超現実性に特徴があると考えられます。時にそれは現実世界で凝り固まった頭では生み出せないような、突飛なアイデアをもっていたりします。彼らの中では物に対するヒエラルキーがなく、目で見たものを並列して認識するため、海の中に花が咲いていても飛行機から人がはみ出てもお構いなし。
翻ってこの建築に目を向けると、「子供の絵」にみられる超現実性が表れています。
ヴォリュームの操作によって得られる不均衡な形状や先細りした塔などが現実離れしたプロポーションを生み、屋根から生えた松などはまさに物と物をくっつけてしまう「子供の絵」そのものです。
このような意匠の操作によってこの建築は現実世界から僕らを切り離し、子供の頃に描いた不細工な絵を目の前に立ち現せてくれます。
「カワイイ」という感想は恐らくここから来ているのでしょう。
ただしその説明だけではディズニーランドにある○○の家といった「カワイイ」と同じで、キッチュ(俗なもの)と評されかねません。
この建築が単なるキッチュでないのは、厳密に仕組まれた寸法の妙であり、建築の型を守りながら「くずし」ているためだと僕は思います。このバランス感覚は「建築を学ぶなら歴史を勉強すべし」という藤森先生の主張の真髄であるような気がします。
内側からぽかぽかする感じに納得しつつ、一同は次なる目的地へ。
温泉療養文化館 御前湯
設計:象設計集団+アトリエ140(1998)
これまた浮世離れした・・・
川にせり出した造形は「千と千尋の神隠し」に出てくる油屋のようです。
これも様々なイメージの混成系であることには間違いありませんが、ラムネ温泉よりも表現が断絶的で、一つの建築として成立するには至ってないように感じました。中は意外とあっさりとして普通でした。
ここでまた移動です。
近くにあった精肉店で唐揚げを注文。その間、ひとりで周辺をぶらぶらしました。
フットプリントだけ残して消えた家。ここの住人はこの家でどんな時を過ごしたのでしょうか。
この集落では民家の棟にしゃちほこが乗った家を数多く見かけました。
集落にはよくその地方の特徴が現れるものですが、「○○さんの家で始めたからうちも」という見栄みたいなきっかけが集落全体の共通記号を形成したりすることもあります。
どのような理由かはわかりませんが、このような細部を見つけて想像することが建築や集落めぐりの面白さだったりします。
ここの唐揚げも絶品でした。安くて量があるのも高ポイントです。
大分県立図書館
設計:磯崎新(1995)
磯崎さんの図書館です。残念ながらこの日は休館でした。
アートプラザ(旧県立大分図書館)
設計;磯崎新+山本靖彦建築設計工房(1966/98)
禍々しい・・・。
長いスロープを折り返してエントランスに至ります。主動線なのが驚き。
もともとは県立図書館として設計されたものですが、現在ではアートプラザと名称を変え、大分出身の磯崎さんの建築ミュージアムになっています。メタボリズム期の提案や都庁案、近作に至るまでの膨大な数の模型が展示されていました。また「海市」のインスタレーションでつくられた実物の作品もここでみることができます。
内部は撮影できたのですが、ネット上での公開等は不可だと言われました。見たい方は是非実際に足を運んでみてください。公共建築なのにバリアフルなのは時代ゆえですが、展示室ごとの細かい階段はちょっと意図がわかりませんでした。
コンクリート打放しの壁が監獄を思わせます。
蛇腹状になっているのは柱梁を露出させて室内を無柱空間にするためだと思われます。ラジエーターっぽい造形です。
印象から言うと極めて多孔質な建築でした。経済的事情も相まってモダニズムが幅を利かす現代において、このような荒々しい表現の建築は新鮮に映りました。部分に秘められたアレゴリーを読みとるのも楽しいかもしれません。
以上で見学は終了、帰途につきます。
短いようで長かった2日間の旅は終了しました。
大分にはなかなか質の高い建築がいくつもあることを実感、特に光を繊細に扱ったものが多い気がしました。
次来るときは八十八ヶ所巡りしたいな。