「宇宙×想像×空間」 原広司氏の講演会で感じたこと


扉絵は「市原湖畔美術館HP」より

昨日は千葉県の市原湖畔美術館にて開催中の、
「HIROSHI HARA : WALLPAPERS-建築家原広司による、2500年間の空間思想をたどる写経」
という展示を観に行きました。目的は、展示もさることながら、同時開催の原広司氏およびゲストによる連続講演会でした。

「「宇宙×想像×空間」―「空間は幻想である」及び“ブラックマター”をめぐって」というタイトルで、文学者の大江健三郎氏、物理学者の大栗博司氏、文芸評論家の三浦雅士氏の三者のプレゼンテーションと原先生も含めた4人の座談会からなる講演会が開催されました。内容を簡単にまとめようと思います。

開会前にオーストリアで進行中の<Raiding Project>のプロデューサーであるローランド・ハーゲンバーグ氏から、プロジェクトの説明がありました。このプロジェクトは10人の日本の建築家たちがオーストリアの人口900人ほどの小さなライディング村に、芸術家が寝泊まりできる小さな建築を提案するというもので、原先生自身による"Hara House"なるものもあります。ローランド氏からは藤森照信氏による「コウノトリハウス」の説明がありました。小屋の屋根から木が突出し、その上に鳥の巣があるというもので、実際に鳥がそこに住みついているという、まさしく藤森氏らしい牧歌的かつシニカルなものでした。

先鋒は大江氏です。「僕は原先生のコウノトリハウスのように・・・」と言いかけて、それは原先生の作品じゃないです、と突っ込まれる一面も。「そう言えばいつもの原先生のスタイルとはちょっと違うなぁと思っていましたが」と言い、会場は一気に和やかな雰囲気になりました。

大江先生の生まれは愛媛の田舎町で、戦中と戦後という時代の気分を肌で感じ、それが自身の創作活動のテーマに生かされているそうです。

「WALLPAPERS」について、「人の文章を書き写すという行為は、自分を作者に重ねていく批判的作業」と指摘し、評価しています。「WALLPAPER」の中には、大江氏の『万延元年のフットボール』(1988, 講談社) も登場します。

また今回の講演のテーマでもある素粒子物理学の話に及び、大栗氏の著作である『重力とは何か』(2012, 幻冬舎) において、素粒子の構造を解説するために模型を用いていることと、文学の共通点を指摘します。「モデル(模型)」化によって「標準」化する過程が、文学が「言葉によって人間をつくる」、いわば「標準の人間」をつくる過程に他ならないからだというのです。

この指摘は、「思考は言語に依らずして成立しない」という有名な概念が思い起こされます。私たちは生まれたときより身近な言語に慣れ親しみ、その話者の言葉と付随する感情を読み取りながら人間社会に接近していきます。言語学者田中克彦氏は著作『言語の思想』(2003, 岩波書店) において「人間は、(中略)具体的にどれかの言葉を母語としないかぎり、人間になることはできない」と、より進んだ解釈をしていますが、この<言葉>を介して人間を形成するのがまさに「言葉」であり、たとえば学校で教科書や古典を読むことで「絶対的他者に社会的に接近する」と言いかえることもできるのではないでしょうか。

大江氏は「作家として、言葉によって人間をつくりたい」と言います。ある時代に共通する感覚を自らの文章によって明らかにすること、それが大江氏の言う「人間の“標準の模型”」の生成過程なのかと解釈しました。

次は三浦雅士氏の発表です。三浦氏は原先生の自邸である原邸(1974、右図)に初めて訪れた際に「中に入った瞬間、まるで外に出た感覚」を覚え、それが京都駅ビル(1997)においても同様の空間体験をしたと述べています。
また物理学においては、朝永振一郎著の『物理学とは何だろうか』(1979, 岩波書店) を読み、「光は粒子であり、波動である」という一節に惹かれたといいます。それは、「粒子」というものと「波動」というものはそれぞれ把握できるけれど、「粒子かつ波動」という概念がどうしても理解できなかった、つまり物理学は普通われわれの理解を超えているところにあるというのです。物理学者であるボルツマンが熱力学を発見したとき、それは偶然と統計の融合だったといいます。極めつけは、世界を説明するために物理学はある段階から文学になる、つまり物理学者は大ぼら吹きだと断言するのです。

そして荒唐無稽とも思える最先端の科学は、われわれの常識を覆し、驚かせ、世界を拡げてくれるのです。その新鮮な驚きは、原邸や京都駅、梅田スカイビル空中庭園で経験した「建築の内外の逆転」に重なるといい、原先生の建築はいつも空間的な仕掛けに満ちていると締めくくっています。

僕はこの意見に強く共感を覚えました。原先生が他の建築家に先んじて幾何学に没頭するのは、まさにこの「科学のもちうる力」に建築の未来を見ていると捉えることができます。かつて原先生は著書『空間 機能から様相へ 』(1987, 岩波書店) の冒頭おいて「哲学の任務は、世界の誤謬を正すことにあるのではなくて、世界を展開させることにある」と述べていますが、まさに科学と哲学、その他古今東西のあらゆる知をなぞり研究することで未来を切り開く突破口を見出さんとしているのが「WALLPAPER」なのではないでしょうか。
3番目は物理学者の大栗博司氏からです。原先生は先立って、大栗氏に2つの質問を投げかけました。ひとつは「空間は幻想か」。そしてもうひとつは「ダークマターとは」でした。

まず空間について、科学の進歩と人間の空間認識の歴史が変化している点を説明されていました。古代ギリシアで原子論を唱えるデモクリトスは「世界は原子と真空しか存在しない」と考え、アリストテレスは「空間は物質で満たされている」と考えていました。この空間を満たす原子の存在は長らく安定したものとして、他の物理的現象と分け隔てられてきましたが、19世紀以降の目覚ましい科学の研究によって、どうやら分子は静的なものではなく動的なものらしいということがわかりました。例えば熱を加えるという運動は、分子が振動することによるエネルギーの発生によるものであり、熱というものが分子レベルで存在しないというような具合です。

さらにアインシュタイン相対性理論により、時間は速度に依存していることが証明されると、絶対的な時間=空間というものが存在しないことが明らかになりました。そこでは「情報を整理する枠組みとしての空間」は成立しなくなり、空間さえ動的なものとしてあるという認識が生まれます。人間(あるいは地球)の尺度から始まるミクロ・マクロという概念は古典的空間を前提としているので、その根底が揺らぐならばミクロ・マクロの議論にはそれほど意味がない、というのが現代の科学において証明されてしまったわけです。
その後、量子力学が生まれると、空間の次数が36の紐状の物体から宇宙が生まれたとする超弦理論が生まれ、宇宙の全空間を4/5覆う「ダークマター」なる物質の存在が仮定されるようになります。このあたりの専門的解説は僕の手に余るので、各種参考文献に当たられるのがいいかと思いますが、実際にダークマターがもつ重力による空間の歪み(重力レンズ)効果によって望遠鏡で同じ星雲が複数個見えるといった不思議な現象が立ち現われてくるのです。このことからも、われわれが普段当然のように感じている空間には本当は歪みがあってより多くの次元があり、われわれはそれを知らないだけだという説明も説得力を帯びてきます。

この多次元の跳躍について、僕はジャクソン・ポロックの絵画にそれを認めることができました。始めポロックはカンバスの中に4次元を描こうとしたのだとばかり思っていましたが、彼の「Number2, 1951」(1951,ブリヂストン美術館蔵,左図) という作品の黒塗りを見た瞬間、彼はこの塗りつぶしによってもうひとつ先の次元へ跳躍しようとしているのではないかと直感しました。この直感が正しいかどうかはわかりませんが、建築における多次元の展開は可能なのかという疑問が生じてきます。

ニュートンが発見した万有引力の法則は古典的物理学だと言われていますが、その応用で人類は宇宙に飛び出すことができるそうです。逆にわれわれの営みを成り立たせるために必要な科学は、もう完成されているのだということもできます。しかし、人間という知的生命体が他の生物と圧倒的に異なる性質は「不必要を求めること」なのだと、僕は思います。ボーアは「物理学は世界がどうなっているということについてのものではなく、世界についてわれわれは何を言いうるかということに関するもの」という言葉を残していますが、現状に安住せず自然の摂理に抗いながら飽くなき好奇心を四方八方に巡らせる生物というものが人間の定義だとすると「WALLPAPERS」で原先生が辿った人類の記録は、宇宙的スケールに比して極めて特異な生命体の、極めて先鋭化された営為の記録なのだと解釈することができます。


原先生は講演の中で「人類は自然の記録者」だと喩えていましたが、その「記録」が示すもの、そしてその記録を覗き見る者は一体何でしょうか。

地球が誕生し、現在まで約46億年。人類が現れるのは40万年前。そして太陽の爆発によって地球が死滅するのは50億年後といいます。すると、人間という知的生命体が生まれるのは、地球の歴史の真ん中で、もし仮に地球上から生命が死滅しまた別の生命体が誕生するまで50億年かかるとすると、地球の死滅と新生命の誕生はほぼ同時らしいのです。

50億年後の知的生命体が「WALLPAPERS」をみたとき、何をいうのでしょうか。

全ては人間の頭の中の話ですが、この途方もない時間の流れを感じ、想像し、新しい何かを生み出すことができるのは今を生きる人間の特権です。その扉の前に茫然と立ち尽くし、しかし一歩先へと足を踏み出すことを私たちの中の誰かが行ったとき、18世紀の西欧諸国が感じていた閉塞感に風穴を開けたように、世界の見え方は随分違ったものになるのではないでしょうか。

この展示は2014年12月28日まで行われています。また展覧会の書籍はこちら

エネルギッシュな登壇者の人々と共に、脳を揺さぶるような刺激と、昂奮と、一歩前に踏み出すことの勇気を学んだ講演会でした。