ニューヨークの建築・アートめぐり(6日目)

ステファヌ・マラルメは「世界は一冊の書物に到達するために存在する」と言ったが、マンハッタンの章は数ページほど書き足さなくてはならない。

と言いたくなるほどNYの建築とアートにどっぷり浸かった旅行もいよいよ最終日。日本に帰りたくない、仕事したくない、と駄々をこねても始まらないので、手始めに朝5時に起き、ホテルの部屋の実測をした。旅行などでホテルに泊まるときは、吉村順三だったか清家清(忘れた)に倣い、その部屋の図面をラフに描き起こすのを習慣にしている。今回泊まったホテル・エリゼ(Hotel Elysee)はレバーハウスの隣に位置し、中核駅であるGrand Central駅にも徒歩でアクセスできるため、どこに出かけるにも都合がよかった。


全面ミラーのクローゼットは外出前の身支度をサポートするのと同時に、部屋に入ったときの奥行を広く見せる視覚的効果もある。


なぜか入口扉の枠が不定形だった。面積上の都合だろうか。


ベッドルームは落ち着いた雰囲気。アンティーク調の大きなテレビ台はブラウン管用のものがまだ使われていたが、中は液晶テレビだった。これがなければより広く感じそう。


プランはこんな感じ。(着彩は帰国後)


チェックアウトは13時らしいので、午前中のうちに心残りの場所に全て行こうと画策した。開館時間などから最適なルートを割り出し、僕らは行動に移した。


St Patrick's Cathedral (1878)

 
ロックフェラーセンターエンパイアステートビルと同じ5thアヴェニューに面するセント・パトリック大聖堂は、19世紀に建てられたフランスのゴシック・リバイバルの影響を感じる教会である。ゴシックカテドラルの基本であるラテン十字形のプランに側廊がつき、ファサードにはシンメトリックな双塔を配している。この尖塔の高さは101mとフランスのシャルトル大聖堂より小ぶりだが、有名なノートルダム(69m)よりは全くもって高い。が、実際のところヨーロッパの大聖堂ほど大きく感じられず、むしろこじんまりという印象だったのは、周囲に容赦なく建つ超高層ビルが感覚をマヒさせていたからだ。
ヨーロッパの中世から続く都市は大聖堂とその前の広場を中心とし、その周囲は高さを抑えた街並みが続く。大聖堂は街のシンボル(求心的存在)であり、「どこからでも見える」ことが重要だったし、今でも世界各地の大聖堂の付近は、それより高いビルをなかなか建てない。ビスタの問題もさることながら、教会に影を落としちゃアカンという都市開発側の自制や市民の抵抗も助けていた。しかし、それがここマンハッタンでは逆転し、大聖堂の周囲はそれよりも高いビルに囲まれてしまっている。本来ゴシックの大聖堂とは、キリスト教の教えるところの「神の光」により近づくため、工学の粋を集めて高さの限界に挑んだ最先端の様式である。本当の意味でその意思を継承するのであれば教会も鉄骨の塔状にして、1kmくらいのどこよりも高い尖塔をつけるべきなのだ。
戯言はこの辺にして、内部に入ってみる。


内部はさすがに圧巻だった。シャルトルやアミアンといったフライング・バットレスをもつ大聖堂とは違ってステンドグラスの縦横比が生み出す極端な高さ強調はないが、ブルーのステンドグラスを通して入る光がやさしく降り注ぎ、吊り下げられたオレンジ色の照明と大空間の中で交わり光を落としている。身廊の柱は細いシャフトが束ねられたもので、装飾的なゴシック建築特有のものだ。
ところで、このカテドラルを彩るステンドグラスは聖書の場面を描いている。これは文字が読めない人々に対して聖書の教義と神の威光を説く目的として始まり、やがてステンドグラス自体が光の芸術として昇華された。それゆえにゴシックのカテドラルは「建築化された聖書」とも呼ばれる。


身廊を反対に見たところ。バラ窓の下には後になって設けられたパイプオルガンがある。


天井には石のアーチが幾何学的に走り、頂点にはイエス・キリストを表す「ihs」の文字。ヴォールトを構成する石材もうまく色を散らしている。石の目の向きをよく見るとキリストを中心とした十字架が浮かび上がってくるのは、果たして意図したものだろうか。


ピエタ像。ミケランジェロピエタ像にインスパイアされたと書いてあった。ミケランジェロのものより大きめ。

ここは朝早くから夜まで開いているが、早朝はすいているのでゆっくりと見学ができる。また暖房もついていて暖かく入場無料と至れり尽くせりだ。また来よう。

教会を見終わった後一度ホテルに戻り、地下鉄6番線で68st駅まで向かった。


地下鉄にあったマナー広告。シャレがきいてる。

セントラルパークに向かって歩んでいくと、高層アパートに囲まれた一角に戸建の大邸宅が見えた。これがまさしくNYで訪れる最後の美術館だ。


Frick Collection

フリック・コレクションは鉄鋼王フリック氏の邸宅を改装してつくられた美術館で、ここが所蔵している画家はベラスケス、ドガフェルメールレンブラントエル・グレコターナーファン・アイク等々、錚々たる顔ぶれだ。地下1階のギャラリーが増築されたほかは当時のままの内装としているらしく、室内の調度品の一部に絵画があるといった趣がある。フリック氏はニューヨークでも有数のパトロンだったが、芸術の審美眼があったのかどうか定かではない。有り余る資産を当時、上流階級で流行していた絵画のコレクションに充てたというのが定説だ。投機的な目的で一流の芸術品を買いあさることは不純に感じるかもしれないが、今日のニューヨークが世界のアートの中心になっているのは彼らが芸術・文化に対し競ってフィーを支払ったからに他ならない。アートと資本は常に表裏一体の共犯関係にある。


平面図(initaly.comより)

下部にある矢印が先ほどのエントランス。この豪邸の広大さがおわかりいただけるだろうか。

館内は写真を撮ることはできないが、中庭は写真OK。この中庭だけでも日本の家なら2,3軒入ってしまう。

フリック・コレクションを堪能した僕らは、先ほどの駅から6番線に乗り、Grand Central駅まで向かった。ここから目的地までは歩いてすぐの場所にある。


New York Public Library / Carrère and Hastings (1911)


ボザール様式で建てられたニューヨーク公共図書館は、誰にでも開かれた知の殿堂として1911年に竣工した。「公立」ではなく「公共」としているのは、この図書館の事業主体がニューヨーク州や市ではなく民間の法人で、寄付によって運営していることに起因する。最も見たかった大閲覧室は2016年秋まで改装のため見学不可だった。行かれる皆さんも注意していただきたい。


否応なく期待が高まるエントランス。

 
階段を上がると、巨大な絵の掛かる空間があった。


小閲覧室。


こちらの閲覧室の壁には人物画がずらりと並び、さながら美術館のようだ。一昔前は傍らに本を積み上げていたのだろうが、今は各々ノートPCを並べて作業している。


図書館を出て少々時間が余ったので、タイムズスクエアを見て帰ろうということになった。少々距離があったので、僕らは早足気味で歩いた。


ところでニューヨーカーは赤信号でも車が来なければガンガン交差点を渡る。きょうこ氏によると、マンハッタンは東西南北のグリッド状に区画が形成されているため信号が多く、いちいち止まっていられないためだという。ゆえにハリウッド映画によくある緊迫したカーチェイスは信号と渋滞の多いマンハッタンには不向きであるが、ビルの間を縫って飛び回るヒーローの舞台にはもってこいだ。天高くそびえる超高層と交差点の多い街路の狭間で人々が抑圧され、自由に飛び回るヒーローにカタルシスを覚えるというのは自然なことかもしれない。思えばスーパーマンスパイダーマンバットマンらの空翔るヒーローの舞台はすべてNYか、NYをモデルにしている(ゴッサムシティはNYの旧別称らしい)。
このあたりのメンタリティは巨大化した敵やヒーローがビルを蹴飛ばしながら戦う日本とは一味違うところだ。


Times Square

タイムズスクエアアメリカの「渋谷」のような印象で、巨大なモニターがそこかしこに埋め込まれコマーシャルを流している。多くの日系企業が看板を出しているイメージがあったが、今はSAMSUNGやHYUNDAIなど韓国のメーカーが元気のようだ。特にこの一角などは建物の外壁よりモニターの方が多く見えるくらいだ。R.ヴェンチューリが提案したビルボード建築を思い出す。


Robert Venturi "National College Football Hall of Fame" (1967)

このコンペ案は実現しなかったが、建築と情報メディアの相関関係を最も極端な形で提示したヴェンチューリの予言めいたこの作品は、メディアの勝利と建築の敗北という形でタイムズスクエアの広告塔に引き継がれる。
ただ、誰もが自身の手元や身体に情報を集める機器を持つようになった現代、そして未来において、この大量のエネルギーを消費する広告板がいつまで残るかはわからない。

タイムズスクエアを見た後は、ロックフェラーセンターを抜け東に向かった。妻にお土産をお願いし、僕はホテルへ戻り帰り支度を済ませた。妻が戻ると荷物をまとめチェックアウト、空港に向かう地下鉄に乗込んだ。NY到着直後には戸惑った地下鉄も、帰る頃にはマスターしていた。
かなり時間に余裕をみて行動したので、空港で少々時間をもてあましてしまった。


そんなこんなで僕らの濃密な6日間は無事幕を閉じた。寒かったが一日たりとも降雨降雪がなく、かつ危険を感じる場面にも出くわさなかったのは幸甚というほかない。飛行機の中で新年を迎え、さらにNYでも2回目の新年を迎えるという初めての経験をし、建築とアートを味わいつくした経験は生涯忘れることがないだろう。

この旅と、それを即物的に記述する行為を通して、僕自身の思考を整理し、建築と都市において少しばかり考えるきっかけになった。レム・コールハースが『錯乱のニューヨーク』や『S,M,L,XL』で露わにしたドラスティックな都市論の追体験をしたいという気持ちもあったが、やはり世界から人、モノ、金の集まるニューヨークという都市をこの目で見てみたい、という欲求が強かった。「人種のサラダボウル」と称されるこの都市では隣の人が自分と違う人種であるのが当たり前で、彼らは多様性を受け入れつつ、英語と星条旗でフラットに繋がっている。その光景はある意味理想的で、今の日本が抱える排他的な性格に由来する閉塞感や不安とは明快なコントラストがあるようにみえた。とはいえ米国も未だに多くの問題や病理を抱えており、単純ではない。


Jasper Johns "Flag" (1954-55) 公式ページより

ジャスパー・ジョーンズという作家をご存じだろうか。彼は星条旗をモチーフにした絵画を数多く制作しているが、彼の描く星条旗アメリカの国民が共通して認識する《記号》を芸術作品として画布に置き換えているものだ。これは一見、誰しも想像できる《記号》とその記号が《意味するもの》、シーニュシニフィアンが都市の中で無条件に増殖していることに対して批判をする。ステレオタイプな見方に対する批判の目は、実は都市、そして都市に生きる僕たちそのものに向けられている。飼いならされた「見方」を強烈に揺さぶるものだ。
都市の中の《記号》によって飼いならされた「見方」は思考を硬直化させ、感情を無表情なものに変えてしまう。

だから僕らは、少なくとも、新しいものを生み出そうとする人は、旅や読書、絵画や音楽、映画、舞台などの芸術鑑賞を通して絶えず自分の世界を拡げていかなくてはならないと思う。
毎日スマホの画面を眺め、他愛のないやり取りを延々と繰り返す間に、あなたの横を過ぎ去った風景は無意味で乾燥したものだっただろうか。実際、この世の中に無意味なものなどなく、全ては緊密に繋がっている。メルロ=ポンティの言葉を借りると、意味は僕らによって「見出される」ものなのだ。
僕がつらつらと書き連ねたこのテクストも、風景に意味を見出し世界を拡げる手続きそのものに他ならない。

MoMA(2日目)、メトロポリタン美術館(3日目)、ホイットニー美術館(5日目)ではジャスパー・ジョーンズの作品に会える。彼の旗の絵は1億ドルほどするので所有するのは困難だが、美術館に行けば日によっては2ドルほどで鑑賞することができる。

アートと建築の街、ニューヨーク。

僕は、また行きたい。

(おわり)