「ガリガリ君値上げCM」の反響に対する違和感

SNS上で、とあるCMが話題を呼んでいる。


ガリガリ君「値上げ篇」(60秒)

なるほど、こんなやり方で値上げを宣言するとは面白い、と思ったが、どうも多くの人は純粋にこの態度について「賞賛」しているようだ。


ガリガリ君値上げに、社員全員で謝罪!誠意がスゴイと大絶賛 −grapee

ガリガリ君、社員総出の「お詫びCM」が大反響 「値上げ」逆手に動画再生10万回超える −J-CASTニュース

25年間踏んばったけれど…「ガリガリ君」が値上げするも絶賛されるワケとは? −Spotlight


こういった反応に対して、なんか違うよな、と思った。

10円の値上げで社員総出でお詫びCMをつくるというのは、ハッキリ言って「過剰」だ。昨今のデフレと原料の価格高騰の煽りを受け、製菓業界では相次いで商品単価の値上げしているが、特別にCMを打って出ることはしない。値上げは消費者にとってマイナス要因だからだ。車のリコールじゃあるまいし。
だが赤城乳業はそれを逆手に取り、たった10円の値上げを、さも深刻な面持ちで伝えるという「過剰」なパフォーマンスによって、消費者に誠意と企業の姿勢を訴えるという手段に出た。
そしてその目論見は見事に奏功し、大きな反響を得る。

しかし、本来なら営業マンでもない企業のトップが、たった10円の値上げに頭を下げる必要はない。
なぜこんなCMを作ったのだろうと考えると、先ほどの「消費者に誠意と企業の姿勢を訴える」という理由の外側、つまりこの「過剰」なパフォーマンスの裏に、同じく「過剰」に反応してしまう昨今の世論に対する痛烈な皮肉が込められているように感じる。

一度問題が起きると、ネットを通じて拡散し、企業の存続、個人の生命に関わるまでに無名の大衆に叩かれ続ける社会体制が築かれている現代。この状況にあって、一見瑣末なこと(10円値上げ)に過剰な対応(社員総出で陳謝)で応えるこのCMは、現代の日本が抱える「過剰反応」という病巣をも射程に入れ、その異常性を浮き彫りにしているかのようだ。

このように言うとシリアスになってしまうが、平たく言えばこのCMは、企業のトップ含め社員一丸となって仕掛けた渾身の「ネタ」なのだ。牧歌的な歌声も、ある種のバカバカしさを強調する。だから僕ら消費者はこの「ネタ」に対し笑い、ツッコみ、そして考えるのが正しい反応といえよう。

だが大衆は純粋に「賞賛」した。今回問題にしているのはここだ。

このCMは「ネタ」として滑稽なまでに慇懃な態度をとった「パフォーマンス」であったはずだ。
それが賞賛すべき態度だと持ち上げられてしまえば、社会はますます息苦しく、企業はますます消費者に抗えなくなってしまう。
もっと極端なことを言えば、「なぜ赤城乳業は10円の値上げで社員全員が頭を下げたのに、アンタのところはしれっと50円も上げてるんだ!頭を下げろ!」なんてキチガイじみたクレーマーも現れるかもしれない。もちろん当の本人はそれが「ネタ」であるなんて気づかない。

サービスの水準が上がれば、より低い水準のサービスにケチがつく。
建設業界で言えば、某業界トップの不動産会社が手がけたマンションの杭が支持層に届いていないことが判明し、沈下の起きていない棟も含め全棟建替をすることになり、以前から同様の問題が起きていた他社のマンションも部分補修から全棟建替とせざるを得なくなった。住民が対応の差に不満を抱いたからだ。


「態度の賞賛」は「態度の強要」になり、やがて緩やかに僕ら自身の首を締め上げていく。


問題が起きれば即刻袋叩きに遭ってしまう不安定な昨今の事情を鑑みると、僕はこういった反応に対して、拭えない違和感と気味の悪さを感じてしまう。