瑠璃光院白蓮華堂に行ったこと

最近の専らの趣味といえば、建築マップを作成して実際に訪れることだ。
僕が幾人かの友人と作ったマップには、数多の建築家が心血を注いで作り上げた建築が、まるで綺羅星のように光り輝いている。美術作品は美術館に行かなければ目にすることができないが、建築作品は、その多くが外観を見ることが許されており、また中に入ることができる場合も多い。これは歩いて鑑賞できる芸術、会いに行けるアイドルみたいなものだ。
また優れた建築は開かれた芸術作品でありながら、一方で都市と団体や個人を結びつける社会的な意義も担っている。社会と個の狭間で、さらに資本的制約や法令による制限、美学やイデオロギーなど複雑雑多な条件をまとめあげトータルにデザインされた建築は、さまざまな側面からの批評を許容し、歩いて見るだけで脳に心地よい刺激を与えてくれる。
しかしながら僕の場合はその刺激を脳内麻薬のように次から次へと欲してしまう危険な状況であり、執拗に目を光らせて建物を見てしまうというちょっと病的なアレなので、何事も程々が一番だ。

この休日は電化製品と仕事用のシャツなんかを買うために新宿に行くことにした。さっそく例のマップを見ると、南新宿にある寺が目についた。竹山聖氏設計の「瑠璃光院白蓮華堂」。新宿駅から見える大きな看板を目にする度に現物はどこにあるのだろうと思っていたが、マップによると新宿駅南口のすぐ近くにあるらしい。折角なので外観だけでも鑑賞しようと、一駅手前の代々木駅から歩いていくことにした。

新宿マインズタワーの公開空地を抜けると、コンクリートの異様な姿が見えてきた。

 
ワイングラス型に下がすぼまった躯体に長円形の開口部がぽっかり空いている。一度見たら忘れない強烈な造形だ。なんでも住職が示した「白蓮華のイメージ」を再現したという外観は、アイコニックで不敵さすら感じさせる。外壁には一切雨樋や設備配管がなく、屋根の雨水も建物内の配管から落として地下のピットに接続するというゼネコンが嫌がる設計になっている。経年で躯体にひびが入ったり、配管が朽ちて漏水や汚れの原因になってしまうため、屋上の配管類を屋内に引き込むのはいわゆる「禁じ手」だ。そのリスクも見込んだ上で、それでも外観を重視し配管を建物内に引き込んでいる。まさに覚悟の意匠。本当によくやるわ。


 
三次元曲面の躯体


狭い前面道路が北にあるため、北側・道路斜線の影響を受け建物はセットバックしている。そのエントランスまでのアプローチには水盤が張られ、小さな橋が架けられている。現世とあの世、蓮と蓮華という宗教的モチーフを駆使し、幅員の狭い前面道路からの斜線制限という敷地からくる形状の制限というリアリティを忘れるような設えとなっている。こうしたところに高いデザインセンスが感じられる。


敷地の外から写真を撮っていると、入口に掲げられた「ご自由にお入りください」との文字に気がついた。これ幸いとノコノコ中に入ると、受付の女性がにこやかに挨拶をし、建物と納骨堂どちらの見学ですかと聞く。僕は建物の方だと答えると、今度は別の男性が出てきて、建物の案内をしてくれるという。思いがけない丁寧な対応にすっかり心奪われてしまった。
後になって知ったのだけど、1日2回、こうした見学会を催しているらしい。
この日の見学者は韓国人学生のカップルと僕の3人だった。


外壁に開けられた無数の孔


矩計図(新建築2014年9月号より)

躯体は「ホワイトコンクリート」という特殊なコンクリートで作られている。このホワイトコンクリート生コンプラントを借り切って練らなければならず、単価にして一般のコンクリートの10倍にもなるという。余分が出ないよう細心の注意を払って発注をしたそうだ。
また化粧型枠の杉板を手に入れるために、施工を請け負ったゼネコンが杉山をひとつ買い取り、建物の完成時には山に生えていた杉が無くなったという冗談か本当かわからないような話も聞いた。杉板の化粧型枠は再利用ができないため、通常の型枠の数倍の数量が必要になる。「山一つ分」というのは、あながち誇張ではないのかもしれない。
また基本的に躯体のやり直しが利かないため、打設は一発勝負なのだそうだ。よく見ると、空調の吹出口が孕んでいたりもするが、それ以外は極めて綺麗に施工されている。さすがはT中さん。
敷地含めた総事業費は約60億円、土地と建物でほぼ半分ずつという。


まず5階の如来堂に案内された。ここは阿弥陀如来が安置された部屋なのだが、寺院にしてはなかなか破格で、グランドピアノが置かれコンサートも催されるという。残響音が短くピアノの演奏や歌唱に最適なのだそうだ。
壁にはロンシャン礼拝堂を髣髴とさせる無数の孔が穿たれており、そのまま外観にも表れる。
特に、天井に届くひとつの窓から差し込む光は、春分の日秋分の日にちょうど如来像に当たるように設計されているのだが、天候の具合もあってまだ一度しかその現象が起きていないそうだ。その光り輝く姿を写真で見せていただいたが、神々しく輝く如来像は確かに迫力があった。


4階の本堂の内陣は壁一面に金箔が貼られ、右側の壁には莫高窟の壁画を高繊細なプリントで再現したレプリカがあった。この壁画のレプリカは中国から寄贈され、これを納めるために急遽設計変更し折上天井を設えたという。現場の慌しさが伺えるエピソードだ。

 
「空ノ間」は如来堂とうって変わって残響時間がとても長いため、バイオリンの演奏なんかに適しているらしい。角の正方形の欠けは排煙窓で、途中から設けられたそうだが、これってスカルパだよね?

 
バルコニーにはミニ水琴窟があり、水が周りから落ちると、階段室にカラカラと音色が聞こえるようになっている。


ロの字型の階段は光の入り方が美しいが、RC打放しの壁面を見るに断熱をしていないのか「夏は死ぬほど暑く、冬は死ぬほど寒い」らしい。階段室から極楽浄土に行けるなんて、なかなかお手軽じゃないか。


3階の法要室を見た後エレベーターで1階に戻り、見学は終了。たっぷり1時間半は見たと思う。専門的な内容や現場の逸話もユーモアたっぷりに語り聞かせてくださった解説員さん、ありがとうございました。

 
配置図、断面図(新建築2014年9月号より)

ところでなぜこんな不思議な寺ができたのか。
宗派は浄土真宗で、もともと都心に寺院を作ることが目的だったそうだ。その付帯機能として納骨堂があるが、中心に据えられた機械式納骨堂は日本最大のターミナル駅から歩いて行けるという立地特性から、関東を中心に全国から納骨の依頼が舞い込んでいるという。
僕も学生時代に墓の研究をしていたこともあり、墓地というものに人並以上の関心があるが、墓地は立地次第だとつくづく感じる。郊外の山を切り開いて作られた大規模霊園などは墓参りに行くにも一苦労で、代理墓参サービスなんてものもあるくらいだ。また檀家の減少、無縁墓の増加により、近い将来、遺族に負担を強いる旧態依然とした全国各地の墓地が荒廃し、墓制の存続も危ぶまれている。

いっそ墓など要らぬ、灰をその辺に撒いてくれ!とも思うけど、現在の墓制では墓地以外の埋葬を禁じているため、エアーズロック辺りまで行かないと叶わないのだ。窮屈だな、この国は。
そんな状況を鑑みると、維持管理がきちんとなされ、音楽イベントなんかで人が集まり普段からワイワイガヤガヤとしているところに狭いながらも納骨される方がまだイイな、と思ってしまう。


近代的な都市は死者と生者を隔絶し、死から目を背け、生への眼差しのみに依存してつくられている。東京都内にある小規模な墓地はその周囲に高い塀を設け、内部の様子を窺い知ることができないケースがほとんどだ。
かつて冠婚葬祭の中心に住宅があり、死を迎えるのも住宅だったが、今では約8割の日本人が病院でその生命を終えている。
こうした生と死が断絶した都市空間は、人口の自然減少という大都市が未だ経験したことの無いフェーズに差し掛かったときに、果たしていつまで有効なのだろうか。

 
Philippe de Champaigne "Vanitas" (1671)/ Giovanni Martinelli "Memento Mori (Death comes to the dinner table)" (1635)

死と向き合うことは決してネガティブなことではない。古代ローマでは「メメント・モリ」といったが、死を想うことで生を生きる哲学は古くから存在し、日本においては仏教がその役割を担っていた。
「寺はもともと寺子屋に代表されるような、地域に根ざした場所でした。そんな寄り集まれる場所をつくりたいというのが住職の願いでもありました」と解説の方は言った。
ゆえにこの寺は、もちろん死者を弔う場所でもあるが、人々の寄り集まる場所としても意図されている。そのためのコンサート可能なホールであり、見学者にもまた丁寧に対応する。

近代が排除した死を内包しつつ、生きる者と共存する空間をつくる。そんな未来の建築の姿を、たまたま訪れた新宿の街中の、異形の寺で感じた。

死者とともに生きる未来は、案外すぐ近くにあるかもしれない。

おわり