墓とインスタ 変容する死との距離感


九相観図(部分, 道源宗一和尚筆)とインスタ納骨


「#納骨」といういささかパンチの効いたハッシュタグがつけられ墓前で笑顔を向ける若い女性の写真と、それを揶揄するコメントが僕のTLに流れてきた。
その投稿には納骨という一般的に公にすべきでないとされる儀式をSNSに投稿することに対し、不謹慎であるとの批判的な意見が寄せられていた。
卒論で墓の研究をおこない、卒制で池袋に巨大な墓地を計画し、一人で、あるいは女性とのデートにおいてすら墓地を歩いてきた僕にとって、その光景は極めて現代的な葬送の形だと感心したのだが、ここにおいては意見が分かれるところではあると思う。
ところでなぜ墓は禁忌の対象なのだろうか。

「墓」の語源には、亡骸を置いておく「放り場(はかりば)」からきているという説がある。近代以前の日本において、大名や豪族、僧侶といった特権階級の人々の亡骸は丁寧に埋葬され、塚や塔が築かれたが、それ以外の庶民の亡骸は往々にして野山に棄てられていた。遺体は腐敗し、ハエや蛆がたかり、野犬に食いちぎられやがて土に還る。その目を覆いたくなる情景は死への畏怖の念を喚起し、極楽浄土へ誘われんがために死後の世界を解く宗教に人々が執心したのは想像に難くない。また衛生的にも決して良好とはいえない「放り場」は、人々に「穢れた場所」という意識を植え付けた。それが近代以前の日本の墓であった。
江戸時代以降、庶民も石塔を建て埋葬する文化が広がり、また戦後には埋葬空間の容積を圧縮させるために火葬が普及した。昭和40年頃までは70%が土葬だったというくらい、意外にも現代の埋葬形態は歴史が浅いのである。
そして近年、過去に紹介した「瑠璃光院白蓮華堂」など都心のビルディングタイプのハイテク納骨堂も徐々に浸透している。まるでマンションやホテルのような内装、サービスで、在りし日の「放り場」の面影は微塵も感じさせない瀟洒な建造物が次々に生まれている。
瑠璃光院白蓮華堂に行ったこと - 建築・アート・デザインをめぐる小さな冒険

こうして近代墓の変遷を俯瞰してみると、墓というコンテンツは視覚的・衛生的な「穢れ」から脱却し、死との距離感に変容をもたらしていることがわかる。
モノとしての墓には、生理的・精神的な恐怖を呼び起こす穢れの場から、アイコニックな石塔建立の時代を経て、より衛生的で視覚的安心感をもたらす演出装置としての納骨堂、といった大きな変遷がみてとれる。この変遷とともに、死と対峙する距離感が変容するのも、またごく自然なことなのだ。

一方で、地域ぐるみで冠婚葬祭を執り行った地域共同体は、核家族化と単身世帯の増加、郊外から都市への若年層の流出という人口の自然減、社会減により瀕死の状態にある。テレビでは老人の孤独死問題が取り上げられ、国家は地域共同体の崩壊について喫緊の対策を迫られている。その地域共同体のオルタナティブとして、SNSが新たな社会的ネットワーク、いわば〈仮想的共同体〉として機能していることは、もはや疑いようがない。
納骨をインスタに上げた彼女もまた、地域共同体の崩壊した現代において、SNS上の〈仮想的共同体〉に自身の父親の死の記号を刻むことで、〈仮想的共同体〉における安息と他者からの承認を得ようと試みた現代人の一人である。それは情報化に伴い、オルタナティブとしての共同体が外在化された現代という時代を象徴している。

彼女の行為を「不謹慎だ」と非難することは容易い。しかし、日本人は死者を割と都合よく解釈してきた節があることを認めなければならない。柳田國男が紹介した両墓制や、盆彼岸の習俗の類は顕著なもので、手を合わせた先に祖霊がいるというような生きる者の都合によって柔軟に解釈された信仰がごく一般的に存在する。流行り廃りはあれど、その根底には「祖先・家族を大切にする」という儒教の「祖霊信仰」が姿を変えつつ流れている。大切な人との大切な瞬間を留めるインスタグラムに投稿することが彼女にとっての「祖霊信仰」ならば、それは安易に否定されるべきものではないのではないだろうか。

仮に僕が彼女の父親ならば、咎めるどころか「死後も一緒に写真を撮ってくれるなんて本当にエエ子や・・・」とウッカリ思ってしまうかもしれない(笑)