金沢建築弾丸ツアー(1日目)

「建築を見に行く」という行為は、著名な古刹・城郭・洋館でもない限り、建築の業界に携わる者でなければなかなか理解し難い行動かもしれない。いや、この業界にいても理解を示さない人は一定の割合で存在し、ましてや絨毯爆撃のように片っ端から目とカメラに収めていく人は中でも少数派だろう。僕にとって「建築を見に行く」ことは、先人に習うものづくりの基本的なスタンスである「観察する」こと以上に、アドレナリンが分泌するスポーツのような、あるいは知的なゲームに身を投じる静かな狂騒が存在する。このブログのタイトルのように建築をめぐるスリリングな冒険は、一度味わったら抜け出せない妙味がある。

2017年9月23日、24日は一人で金沢を旅することにした。
休日の多くの時間を勉強に割くような無味乾燥とした生活のなかで、この2日間の小旅行はいたく心待ちにしていたものだった。中でも特に見たかったのは谷口吉生氏が手がけた「鈴木大拙館」で、過去に訪れたNYの「MoMA」や愛知の「豊田市美術館」、広島の「中工場」では空間の作り込み方やシャープなディテールにシビれたものだが、金沢の「大拙館」はこれらに比べると極めて小規模で、写真を見ても全容が掴めなかった。この手の建築を理解するためには、空間に身を置き自分の目で確認する他ないことは明白だった。

例のごとく「旅行の設計」を利用して予定を組み立てていく。今回は1日目に車、2日目に徒歩と移動手段を分けて計画した。もともと加賀藩の城下町である金沢市街はコンパクトで高密度な街区を形成しており、美術館や記念館など見るべき施設が徒歩圏内に集中している。こうして2日間で回ることができる限界まで予定を詰めこんだ結果、金曜と日曜の夜に夜行バスで往復するという貧乏学生の旅行みたいな計画になってしまった。なんてこった。


金沢駅前広場・鼓門」白江龍三+トデック他(2005)


身体のスケールからかけ離れた巨大なガラス屋根を頂く広場と、それを支承するねじれた木の門。格天井や鼓といった伝統的意匠を取り込んだポストモダン的な構造物で、アメリカのTravel & Leisure(トラベルアンドレジャー)が「世界で最も美しい駅14選」に金沢駅を選んだことで話題になった。

 
トラスとその端部の納め方。設計者の癖が滲み出す執拗なディテール。


西口には社会主義国のそれを髣髴とさせるモニュメントが。意図は一見してわからなかったため調べてみると「カナザワ」という片仮名と能登半島の形状を模しているのだとか。わかるかって。

確かに写真栄えはするが、実物を見ても大味で洗練されているとは到底言い難く、中国や新興国で支持されそうなデザインに思えた。金沢は伝統工芸が盛んな街でもあるから、よりナイーブな「和」に舵を切った方が似合っていると思う。だが昨今のJR地方駅舎の没個性的なガラスと金属パネルの箱、という惨状に比べれば、地域性を歪ませつつも取り込み、独自のデザインへと昇華させているという点は評価したい。


谷口吉郎墓?」

谷口吉生氏の父、谷口吉郎氏の墓が市内某所にあることと聞き、ライフワークである墓の実測に向かった。そこの管理者に事前に聞いた場所に建っていた墓石は2塔あったが、どちらも故人の名が刻まれておらず、吉郎氏のものであるという決定的な証拠がなかった。自邸を設計し、「墓士」の異名をもつほど多くの墓の設計をおこなってきた谷口氏が自らの「最期の家」を設計しなかったというのがどうも腑に落ちず、写真を数枚撮ったものの結局実測するには至らなかった。こちらは引続き調査する。


「金沢ビーンズ」迫慶一郎/SAKO建築設計工社+大和ハウス工業(2007)


中国に本拠地を構え大型の案件をこなす建築家が設計した書店。ロードサイドの店舗としては最大の蔵書数を誇るという。竣工当初は白色のLEDが白色の床と壁を照らすような手術室のような空間だったが、不評だったのか、現在は一部が電球色のものに変えられて温かみのある店内になっていた。


本棚で埋められた緩やかな曲面を描く壁面の随所に、立ち読みを促す「立ち読み台」が設けられている。書店で立ち読みを促すというのは、プログラムからして斬新だったが、利用している状況には出会えなかった。薄いガラスは冬季には結露するのだろう、取合っている面材が水を吸ってボロボロになっていた。ハッキリ言って、なんて素人くさい納まりなんだろうと思った。ロードサイドの店舗という比較的短命な建築ゆえに許される面もあるのかもしれない。


トイレは驚くほど青! 女子トイレは赤らしい。この思い切った色彩はOMAやMVRDVのようなダッチデザインに通じるものがある。


家具も随所に「ビーンズ」オリジナルの意匠がみられた。洗練されてはいないが、見た目に楽しげな工夫がみられる。


店を出て屋外の非常階段に登ってみる。蹴込のないスカスカ階段。

一回りして、それなりのコストの中で当初の意図通り実現する難しさ、厳しさを感じた。だが建築家がこの手の仕事にどんどんコミットしていけば、間違いなくロードサイドの風景は違ったものになるだろう。収益性と合理性だけで機械的に量産される郊外の店舗建築に一石を投じたことは、大いに意味がある。


「石川県庁舎」山下設計(2002)


3棟の巨大なヴォリュームが立ち並ぶ比較的新しい県庁舎。エントランスにある3層吹抜けの巨大なアトリウムは、シルバー調のやや冷たい印象を覚えた。各種催し物が開催できる大きな空間が必要だったのだろうが、高級感が出過ぎないよう抑制の効いた意匠でまとめられている。


19階は展望台となっていて、360度ぐるりと金沢の街を見晴らすことができる。
上から眺めると、海と山、それを繋ぐ陸地が緩やかに広がり、ほぼ中央に城下町が形成されている。展望台からはこうしたマクロな地形の特徴がわかった。


展望台には庁舎の模型があった。立面は「山」の字の明快な構成。鳥瞰で見ても、やや権威的なきらいがある。
空いているスペースには住民による作品の展示がおこなわれており、公共に開かれた場として機能しているようだが、いわゆる「お役所」建築の域を出ない保守的なつくりであった。高層建築なので仕方ないのだろうが、もったいない気もした。


車寄せにあるドライエリアはRのついたフラットバーを等間隔で並べるという凝った意匠。


「金沢海みらい図書館」シーラカンスK&H(2011)


この旅行で「大拙館」の次に楽しみにしていた日本海の沿岸部につくられた図書館である。さすがに潮風からの塩害でアプローチにある溶融亜鉛メッキ製の支柱はまだらに変色していたが、過酷な環境にありながら外壁は竣工当時の白さを保ったままだった。
内部は西欧の図書館にあるような巨大な気積を有し、開放感と空間を共有する一体感を目指している。


外壁はフッソ樹脂塗装の有孔パネルで、開口に合わせてジョイント位置をずらし、消防隊進入口もパネルの割付に合わせて設定している。こうした細やかな操作は、雑誌を眺めているだけではなかなかわからない。やはり建築は現物を見ることが一番勉強になる。


3階は建築面積の1/4程度のフットプリントしかなく、吹抜けに面して読書スペースが設えられていた。宿題をやっている子供たちの姿も見られ、この辺りの子供たちは公共空間に恵まれているなと思った。


3階の本棚は空間の白さ、透明感と呼応するように、クリヤーの側板が採用されている。

 
防火シャッターは柱の前後で千鳥状に配置することで、柱材の見た目の軽さやシャープさを出していたり、付属する防火戸は書棚と高さが揃えられている。こういうところに高度な設計のセンスが感じられる。


ベルマウス状の開口部。エッジの鋭さを出さないよう丁寧に仕上げられている。


男子トイレは白を基調とした無駄のない意匠。


1階から2階へと上がる螺旋階段は裏から見ると1枚の鉄板を曲げ、溶接して塗装されている。この建築で最もエロティックな部分だ。

「海みらい」は図書館の機能をヴォリュームに詰め込むだけでなく、より居心地の良い空間を目指して設計された。そのために設計者が求めたのは巨大な気積であり、その大空間に光を落とし込むドット状の開口部のディテールが描かれた。そこから2枚の板で断熱材をサンドする工法が提案され、空間にフィードバックしている。この空間の在り方から工法が提案されるプロセスは、はじめに通り芯ありきの設計手法とは180°アプローチが違う。実務者として学ぶべきことが多い。


「facing true south」中永勇司(2011)

直訳すると「真南向き」という不思議な名前は、屋根に設けられた2つのハイサイドライトが真南を向いていることに由来する。このハイサイドライトは日射の解析により、真夏の直射日光が直接室内に入るのを防ぎ、また冬季の日射を取り入れることで温熱環境の向上に寄与しているそうだ。伝統的な工法により架構が組まれた複雑な屋根は、テクノロジーと伝統技術の融合を体現している。個人住宅のため、外観のみ見学した。


「大野からくり記念館」内井昭蔵(1996)


この地で活躍した幕末のからくり師、大野弁吉の業績を紹介し、さまざまなからくり細工の展示を行う施設で、たまたま近くを通りかかったので外観のみ撮影した。斜めに渡された木の柱が入れ子状になって交差し、屋根とガラスのカーテンウォールを支えている。有機的な平面計画は設計者の奔放で貪欲な造形意欲が華開いていた。


「大野灯台」(1934)


「日本の灯台50選」にも選ばれている地上高さ26.4mの灯台。普段は公開されていないので外観のみ見学した。灯台というと円筒形の平面が一般的だが、こちらは珍しい矩形。旅行サイトのレビューをみると「がっかりした」という意見が散見されたが、必然から生まれた寡黙なマッスと半円のガラス面をもつ純粋なモダニズムの結晶は十分鑑賞する価値があった。


「もろみ蔵」


古い醤油蔵を改装したギャラリー兼カフェ。この地区には古くから醤油蔵が立ち並び、「醤油ソフトクリーム」なるものが人気とのことで食べてみた。香ばしくて美味。


街並みを散策していて、ふと民家や商家の入口に垂壁があることに気づいた。他の地域や、同じ金沢でも観光客で賑わう江戸時代からの街並みが残る「ひがし茶屋街」などでは見られない意匠で、頭をぶつけそうなほど低い。何のためのものだろうか。


「石川県西田幾多郎記念哲学館」安藤忠雄(2002)


哲学者西田幾多郎にを記念してつくられた日本唯一の哲学記念館。小高い丘の上に鎮座するヴォリュームと、その前面の緩やかな階段といった構成は「近つ飛鳥博物館」(1994)に似ているし、もったいぶったアプローチや屹立するEVシャフトなどは「淡路夢舞台」(1999)を思い出す。設計者名が伏せられたとしていても、紛れもなく安藤建築だとわかる。


楕円形のプランターは100角のピンコロ石を器用に貼って仕上げていた。ガウディのグエル公園のタイルよりも職人の技術を要しそうだ。


トップライトから降り注ぐ光がシンボリックな円形の空間を照らし出す。


逆円錐形のコーンとそれを取り巻くようにオフセットされた逆円錐形の壁面の緊張感ある関係性。
安藤氏の建築はこれまでにもたくさん見てきたが、この二重コーンは特に施工が困難だったと思う。


手摺に目をやると、驚いたことにトップレールを支持する柱が見当たらない。どうやら自立した強化ガラスを挟み込むような形でトップレールが載せられているようだ。「引き算の思想」がディテールのレベルで実践されている。

 
展示室へはこの細長いスロープの空間を通ってアクセスする。

 
壁面にスチールの厚いフラットバーが見えたので、なんだろうと思って引き出したら、展示室とホワイエのゲートだった。ここのホワイエと庭は夜間も解放しているので、時間帯によってこのゲートで区切るようだ。注意深く見なければ見落としてしまいそうなくらいさり気ない、しかし非常に緊張感のあるディテール。


突如現れるヴォイド。ジェームズ・タレルや!(違


安藤建築においては、コンセント類の変更は認められない。

 
溶融亜鉛めっき鋼板でつくられた渋い案内板と、天井の高いトイレ。

ところでこの人なんでトイレばかり撮っているのかと思うかもしれないが、トイレは建築の中でもヒエラルキーの比較的低い部屋で、コストダウンの対象になりやすい。また雑誌に掲載されることもほとんどなく、そこまで意匠上重要視されることがないが、機能上欠かせないものである。ゆえにトイレのデザインには設計者の力量や配慮、哲学が如実に表れる部分でもある。安藤氏の美術館建築は便器すらアートに見えるような綺麗なレイアウトであり、特に感激したのは直島にある「地中美術館」(2004)の男子トイレで、これは紳士諸君は是非とも体験していただきたいし、淑女の皆様は男装してでも見ていただきたい(後は自己責任でお願いします)。

やはり世界的巨匠の作品と呼ぶのに相応しく、随所に学びのある建築だった。しかし、逃げの効かない割付けや対称・均等といった厳格な美学から構築されたデザインは、施工する側にも多大なプレッシャーと精度が要求される。これは2日目の「大拙館」で一層顕著にみられるのだが、そのコントロールも含め建築家(とそのスタッフ)の力量が試される。安藤氏の作品の中でこの「哲学館」が話題になることは少ないが、安藤建築のエッセンスが凝縮されている空間を十分楽しむことができた。

かほく市立金津小学校」安藤忠雄(1993)

 


「哲学館」から車で15分ほどの山の上に立つ小学校。この日は学校の行事のため内部の見学はできなかったが、木造の体育館を一周した。木造建築はほとんどわからないけれど、ダイナミックな架構は見る者を圧倒する強度をもっていた。


金沢21世紀美術館SANAA(2004)

学生以来2度目の来訪。この美術館の出現によって金沢城付近の様相は一変、美術館の敷居はずっと低いものになった。プログラムの根底から見直されたデザインと、それを実現させる高度なエンジニアリングの結晶とも言うべき作品で、この日見てきたどの建築よりも抽象度が高く斬新だった。開館後10年以上経つが、入場者数は年々増加しているというから驚く。


時間帯によって様相が変化する。

・零度の建築、あるいはメルクマール
この日は2つの展示を行っていた。円の中心部から襞状にニ分割されたような展示空間は、管理上2つのプログラムを分けつつ、両者の視線は交錯し、時には同じヴォイドを眺められるといった仕掛けがなされていた。一般的なホワイトキューブ+単一動線の美術館とは異なり、建築側の仕切壁は最小限度に留め、プログラムにより閾を適宜移し替えることによって展示規模や意図に沿わせた弾力的な運営が可能となる。この建築が画期的なのは、美術館というものを「美術品を納め順番に見せる大小の箱」から、展示のディレクションの可能性を無限に与える「透明な方眼紙」にしたことであろう。僕はロラン=バルトが「言語の自立性」と「社会的道具性」の中点に位置するカミュの文章を、文体の存在が消去された「零度のエクリチュール」と表現した例になぞらえ、建築家の存在を消去し(それでも純然たるSANAAの建築なのだけれど)、展示風景そのもののポテンシャルを引き出すことに成功した〈零度の建築〉と呼ぶことを試みる。この〈零度の建築〉は、車からスマートフォンへ、ハードからソフトへと移行するテクノロジーと同期した時代のメルクマールであり、ポストモダンの亡霊を薙ぎ払うには十分すぎるほどのインパクトを持って迎えられた。


またディテールに目をやると、学生のときは気づかなかった抽象的な箱を演出するための工夫が随所に見られる。屋内消火栓やコインロッカーといった、どうしても用途上室内に出てきてしまう設備は、白塗装と同面納まりで存在感の消去に努めている。箱を抽象的に仕上げるためには、こうした地道な労力が必要なのだ。


サインは具体的に、しかしそれ自体アートにも見えるよう丁寧にデザインされている。


外壁サッシと結露受けの取合いは太めのシール。バックマリオンなしのこのガラスの高さにしては、どう考えてもガラスが薄すぎるように見える。上からハンガーで吊っているのだろうか。
考えてみると、この透明感を演出するのにはガラスは無色透明でかつ薄くなくてはならないし、バックマリオンはあってはならない。とするとガラスの自重は天井から吊るしかなくなる。言葉で表現するのは簡単だが、実際に図面を起こし施工するのは、やはり高度なエンジニアリングが不可欠だ。これを実現してしまうから、SANAAは凄い。


すっかり辺りは暗くなり、人の気配も徐々に少なくなってきた。この金沢の地に降り立った宇宙船は、一層抽象度を上げて光を放つ。

僕らはSANAAの登場しなかった世界に戻れないし、最早SANAAを経由せずに現代建築の文脈を語ることはできなくなってしまった。そしてこの〈零度の建築〉を超えていくための言語を、エクリチュールを用意しなければならない。目の前の強靭なオブジェクトに意識が飛びそうになるのを堪えつつ、この日はホテルへと戻った。

(2日目に続く)