ウロボロスの書


「万物は流転し、同じ軌道を繰り返し廻っているのであり、観者にとってはそれを百年見ていようと二百年見ていようと永遠に見ていようと同じことであることを銘記せよ」
マルクス・アウレリウス『自省録』第二章第十四節


ガルシア・ホセ・ムヒカがタクナの街外れのかび臭い古書店で購入した海外の古い手稿を集めた本には、この世の全てが記述されているとされる奇妙な書物について書かれていた。以下にその内容を簡単に記述する。


イスラムのとあるモスクの円形の床下から見つかったその書物は、おおよそ普通の本とかけ離れた形をしていた。上から見ると細い円環(リング)状で、表紙や裏表紙は存在せず、また円環の外周を覆う背表紙に当たる部分は皮が張られていたが、何も書かれていなかった。

更にこの本を開くことは誰一人として出来なかった。内向きの円環になっているため紙同士が密着し、無理に開こうとすればたちどころに留め具が外れ、内容がバラバラになってしまう恐れがあったからだ。百万とも数千万とも伝えられるページ(詳細はわかっていない)が散逸してしまうととても手に負えないと、人々は恐れをなして触れることを拒んだ。

いつ、誰が、何のために書いたのか、何が書かれているのか、何より、なぜ開かないような本の綴じ方にしてしまったのか、諸説が唱えられたが真実は誰にもわからなかった。

ある歴史学者が「本の中にウロボロスがいる」と言った。もちろんそんなはずは無いと笑う者もいたが、見ることができなければその不在を証明することはできない。円環状の見た目も相まって、その書物はいつしか「ウロボロスの書」と呼ばれるようになった。

時の王はウロボロスの書の噂が表沙汰になることを恐れ、モスクもろとも接収して管理下に置き、歴史上からその存在を抹消した。なぜ王がそのようなことをしたのかわかっていないが、世界の全てが記述された書物が王権を脅かすことを恐れたのだろうと分析し、手稿の著者は結んでいる。


現在ではそのモスクがどこにあったか知る由もないが、私はウロボロスの書とはすなわち「世界」そのものであり、その著者は神そのものだったのではないかと考えている。グノーシス派の教義によればウロボロスは物質世界の限界を示す象徴であるが、ヘレニズム文化圏では世界創造は全であり、一であるといった循環性・永続性の象徴である。世界は閉じた円環であり、時間や空間までも円環の摂理から逃れることはできないとされている。

真実が、この手稿の通りだとしたら、今この瞬間もウロボロスの書は世界のどこかに存在し、決して人の手によって読まれることのないページは永遠に増殖し続けているだろう。