『看板建築 昭和の商店と暮らし』発売のお知らせ

2019年5月29日、『看板建築 昭和の商店と暮らし』という本が出版される。看板建築のみに焦点を当てた出版物としては藤森照信氏の『新版 看板建築』(三省堂,1999)以来、実に20年越しのもので、間違いなく看板建築をめぐる言説の貴重な資料のひとつとなる。

この看板建築愛好家たちが待ち焦がれた著書に、僕の描いた立面図と写真の解説文、冒頭の解説、コラムといったテキストが掲載されている。看板建築の立面図を描き始めて1年半、全国の書店に並ぶ書籍への掲載によって、ようやく2018年の年始に自分の中で決めた「3年以内に本を出す」という目標を、曲がりなりにも叶えることができた。まずは機会を与えてくださった出版社さん、そして本づくりに対するあらゆる知識や業界の構造、契約、ゲラチェックに至るまで面倒をみてくれた元編集社勤務の妻にお礼を申し上げたい。

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この本の企画について声がかかったとき、本づくりは中盤に差し掛かっており、大枠の構成や掲載物件などはあらかた決まっていた。声をかけてくださった編集者さんはInstagramハッシュタグを追って情報収集をしていたところ、立面図が目に留まったという。そのため、当初は立面図の掲載について打診をしてきたのだが、話を聞いてみると文章を書くライターも探していた。なにしろ対象がニッチなだけに類書や資料が少なく、普段仕事を依頼しているライターさんにも「予備知識が必要で難しい」と匙を投げられ、途方に暮れていたところだった。立面図を描きながら全国に散らばる看板建築をGoogleストリートビューでキャプチャーし、建築についての解説を加えていくツイートスタイルを築きつつあった僕にとってこれは海原に小船を浮かべていたら甲板にマグロが飛び込んできたような千載一遇のチャンス、二つ返事で文章も請けることにした。

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掲載された立面図

ところがその期限というものが実に差し迫った状況で、わずか1か月の間で初稿を全てアップさせなければならならず、日中の業務時間、家事や食事、妻との時間、立面図イラストを描く時間などを差し引いた隙間時間を投じてライティングを練り上げる他なかった。そこで、写真についての短い解説文などは移動時間にTwitterの非公開アカウントにツイートをする感覚で書き溜めていき、コラム等で事例を提案するものについては休日にサイクリングやランニングを兼ねて足しげく都内を徘徊し、写真を撮り溜めては物件ごとフォルダに整理していった。こうした地道な作業を積み重ね、依頼分の仕事を遅延無く円滑に上げることができたのも、資格の勉強に一区切りがついたのに加え、普段のTwitterによる短文とブログによる長文、本職において身についたデータ整理と活用のスキーム、それぞれの準備運動がうまく噛みあい奏功しているように思う。いつもやっていることの少しだけ延長上に書籍の仕事があったという感じだ。こうした仕事は稀である。

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担当した建物解説のページ

一方で肝心の看板建築自体はメディアでも取り上げられたり展覧会が企画されたりと社会的な知名度も増してはいるが、消失のスピードは依然衰えていない。藤森氏は1999年の『新版 看板建築』のあとがきで、初版の『看板建築』から6年経って多くの看板建築が取り壊されていったと当時の状況を述懐しているが、それから20年も経った。体感的には更に半減はしている勢いで、都心は再開発によって街区ごと刷新し、地方は後継者の不在から駐車場や小綺麗なチェーン店やプレハブ住宅に変わっている。1年前に写されたストリートビューで存在を確認し、いざ行ってみると工事の白い仮囲いが廻されている、といった状況にもしょっちゅう出くわした。失われつつあるものを追う者の宿命で、時には身体の力が抜け、呆然と立ちすくむこともあるが、その反面、新たな発見の喜びは人一倍大きい。そんな悲喜こもごもの渦中に身を投じるのはその道の者にしかわからない密の味で、一度入門したら中々やめられない、誰が言い出したか“沼”という言葉がしっくりくる。

沼に嵌らずとも楽しめる本書は、僕の書いた少々肩肘張ったコラムや解説を挟みながらも、看板建築とそこに住まう人々に光を当て、温かい眼差しを注いだ本だ。ぜひ手にとって、今まであまり知られてこなかった看板建築の世界をちょっとだけ覗いてみてほしい。 

看板建築 昭和の商店と暮らし (「味な」たてもの探訪)

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