『東京のかわいい看板建築さんぽ』発売のお知らせ

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© tegamisha

先般、看板建築の3冊目、自身の名前では2冊目となる著書を上梓した。
本書は東京都内に現存し、かつ現在も営業中の店舗に焦点を絞ったさんぽ本で、都内の下町めぐりに最適な構成となっている。

タイトルからも察しがつくように、メインターゲットを女性に据えているものの、建物鑑賞の着眼点においては私のTwitterフォロワーからしたらお馴染みのもので、今まで書籍や雑誌などに紹介されてこなかった建物も多数掲載しており、資料的にも価値あるものに仕上がっている。男性諸兄も表紙やタイトルに惑わされることなく手に取っていただきたい。
また前著と異なる点として、専門的な用語を極力使わずにわかりやすい言葉遣いを心がけ、初心者にもとっつきやすい体裁を整えた。見本誌を送った実家の両親曰く「こっちの方がわかりやすい」そうだ。

掲載した物件数は計45件。構成は私の方から提案したのだが、やはりエリア毎にした。ほとんどが同時期に固まっているため年代順にしてもあまり意味がないし、表層のマテリアル別にしてしまうとページごとの変化に乏しくなる。その点、エリアごとであれば散策に適した構成にできる。
「神田・神保町エリア」「日本橋エリア」「築地・銀座エリア」「品川・芝・高輪エリア」「台東・墨田エリア」「その他エリア」の6つのエリアに分け、そこから各7~10件ずつほどセレクトしているのだが、実はこれがなかなか難儀な作業だった。

というのも今回はメインビジュアルが写真のため、引きが取れないと煽りのキツい写真になってしまい、そうした物件は当初から避けた。またデザインが良いからといって極度に荒廃した建物も選びずらい。ここがイラストとの決定的な違いで、いくつか掲載を断念せざるを得ないケースが生じた。
またセレクトの途中から「現在営業中で訪れることができるもの」という方針が加わり、仕舞屋を除かなければならなくなった。(それでも魅力的ないくつかの仕舞屋はコラムに掲載した。)
さらに昨年に出した『看板建築 昭和の商店と暮らし』や『看板建築図鑑』との差別化のため、物件の被りを減じる措置もとる必要があった。
ようやく掲載が決まったものの取材を断られてしまったケースが加わり、結果的に僕が当初提案したものは半分程度しか残らず、残り半分は追加提案をすることになった。
「東京の看板建築なのに、○○が掲載されていなかった」という批判もあるかもしれないが、都内のものはほぼすべて検討の俎上に上げており、それぞれ選べなかった理由があることをお許しいただきたい。

こうした多難なセレクトにも関わらず、掲載できた建物はみな表情豊かで、しかも生き生きとその土地での暮らしを謳歌しているようにみえる。商店としての役目を終えた建物にはなかなか見出せない「生命感」といえばよいだろうか、現店主のもとで手を加えながら営みが続けられているものがもつ輝きがあるのだ。写真家の岩崎美里さんによる洗練されたカットが、こうした建物の魅力を引き出している。

セレクトのあとは撮影箇所の指示を出し、撮り下ろしの写真に300~400字程度の解説文とキャプションを加えるスタイルで文章を書き連ねていく。3冊目ともなるとこうした作業は慣れたもので、いくつかの修辞法を使いつつ、時に序盤のフリを文末に回収する、といった技術を密かに組み込んだりしながら文章を組み上げていった。

表紙を飾るのは江東区佐賀の「コスガ」。王冠にも似た黄色のパラペットを戴く重厚感のあるファサードながらも、窓や入口に非対称の崩しが取り入れられ、正統派の西洋建築にはない面白さが滲み出ている。1冊目が「パリ―食堂」、2冊目が「蜷川家具店」ときて、「コスガ」と、それぞれの書籍のカラーを象徴するような物件が選ばれているのがなかなか興味深い。出版社の編集方針が違えば、成果物には自ずとカラーが出る。私も出版社も、同時期に同じテーマで出す書籍が似たような本にならないかという心配はしていたものの、結果的には杞憂であり、切り口によって全くの別物に仕上がった。本作りの妙味でもある。

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© tegamisha

しかし、自分で言うのもなんだが、よくも1年間に3冊も出したなぁと思う。特に『看板建築図鑑』と『東京のかわいい看板建築さんぽ』は同時並行で執筆を進めるという荒業だった。

そんなキャパオーバー寸前の状態であっても、それぞれ納得のいくレベルの書籍を複数出版させてもらうという経験は、平々凡々なサラリーマンにとってなかなか味わえるものではない。これもTwitterというツールなしには実現しなかったことで、逆をいえば少々ニッチな趣味でも信念もって発信し続ければ、チャンスを得ることもある。
たまたま「看板建築」というコンテンツが世間的に見直されている時期とかぶったのもあるかもしれないが、結局は新しいことを始めるには、誰かのお墨付きを得る前に、まず「やってみる」しかない。そういうことを肌で感じた2年間だった。

またチェック作業を通して、自分の筆跡がそのまま残ってしまうこの作業は、きっと何度繰り返してもスリリングなものだろうなと思った。
建築はひとたび建ててしまえば、数十年と残るが、その場に身を置かなければ本質的に知ることはない。一方で書籍は何千部と複製され、どこかの書店や図書館、あるいは個人の書棚に残ってしまう。誰にどんな影響を与えるのか、全く計り知れない。趣味本とはいえ内容のミスは許されないというプレッシャーは常に感じていた。
百戦錬磨の作家であっても、その筋に通暁した研究者であっても、きっとこの校正作業には神経を尖らせているに違いない。もっともそのクラスになれば優秀な校正者がついているのかもしれないが、自分しか知りえない情報も多々あり、妥協は自分に跳ね返ってくる。
3冊を通して、執筆よりも校正の方が神経を削がれるということも学んだ。

こうした労苦を乗り越えて、『東京のかわいい看板建築さんぽ』は東京の下町を味わい尽くすための必携書だと、胸を張って言えるものに仕上がった。初めて書籍に掲載される物件も多数あり、しかもすべて現時点で訪れることが可能。それでも、ここに掲載している建物も数年後には数を減らしている。
本書を手に、今ある東京の風景をいま一度見つめてほしい。