台東区近代寺院散策 〜 妙経寺・善照寺・松源寺

週末に散歩がてら台東区にある寺を3つほど回ってきた。寺といっても戦後に建築家の手によって建てられた近代建築で、全てRC造のものだ。
これらは新御徒町駅から徒歩圏内で、穏やかな気候の中、ぶらぶら散歩するにはちょうど良かった。

妙経寺 / 川島甲士 (1959)


最も駅から近いのは挑発的な鐘楼が目を引く妙経寺だ。設計者は川島甲士。清水建設設計部から逓信省営繕部を経て独立、芝浦工大助教授を務める傍ら、「津山文化センター」(岡山県津山市, 1965)で一躍名を馳せたモダニズムの建築家だ。「津山」の6年前に竣工したこの日蓮宗の寺院は折板屋根の本堂と納骨堂、鐘楼、住職の住戸が広場を取り囲むように配置され、その奥は墓地と続く。
本堂は①耐火建築であり ②従来の権威がかった様式ではなく、地域の冠婚葬祭のセンターとして開かれた空間であること、という要請に対応するものとして、RCの折板屋根が架けられた。この折板構造は大空間を飛ばせることから50〜60年代にホールを持つ建築に好んで用いられた。川島氏は字義通り「がらんどう(伽藍堂)」をつくったのである。

 
有効ブロックの裏にはガラス。欄干の造形も凝っている。


鐘楼の方は本堂と打って変わって自由奔放だ。目を引く紅の屋根に、突き出す水抜き孔。屋根は2本のダルマ断面をもつ柱で支えられ、その柱を橦木がブチ抜いている。これぞまさにアヴァンギャルド!反骨精神!
この屋根の形状については「外に向かい跳ね上がる外向的上昇指向を表す」とも「インドの水牛をモチーフにした」とも言われているが、サングラスをかけて剃りこみを入れたチョイ悪坊主がロックを流しながら縦ノリで撞いていてもおかしくないくらい、強烈な芳香を放っている。
厳かな所作で式典を執り行う儀礼空間としての本堂と、身を捩り無常の音を鳴り響かせる鐘楼という機能のダイナミックな対比は、「静」と「動」それぞれの身体の挙動に、モダニズムの言語を巧みに対応させている。この対比は空間に緊張状態をもたらす一方で、豊かに茂った植栽が間を取り持ち、印象を柔らかにしている。コンパクトながら存在感のある建築だった。


善照寺 / 白井晟一 (1958)


通りから入る細い路地の両側は笹が植えられ、その奥に真っ白なシンメトリックな妻壁が覗く。善照寺本堂は、丹下健三と並び称される巨匠、白井晟一の作品の中でも、特に凛とした佇まいをみせている。
この白亜の聖堂ならぬ白亜の寺院は、地面から切り離されて浮き上がり、外周には片持ちの廊下を回している。その浮世離れしたプロポーションをしげしげと眺めていると、この本堂自体が浄土そのものの表象なのではないかという気がしてくる。
白井晟一はドイツの実存主義ヤスパースの下で哲学を修めた異色の建築家だ。ものの「存在」を問う実存主義を身につけている彼は、もしかしたら「存在しないもの(浄土)」に照準を定め、建物を地上から切り離し非現実を徹底的に作りこむことで、非現実の浄土世界(抽象世界)から逆説的に現実の「生」(具象世界)を照射しようと企図したのではないか。


この仮定に従えば、物質感・遠近感を喪失した白い壁、極度に薄く跳ね出された廊下の浮遊感、構成と明度差によって御影石が浮遊して見える正面石段の造形にも全て合点がいく。
本願寺の別院である善照寺の宗派である浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば仏となり極楽浄土へ行くと説く。白井氏はこの浄土世界を西欧的な抽象世界(形而上空間)と読み替え、虚空に浮遊する非現実世界を近代的マテリアルの代表であるコンクリートを用いて再現を試みた。
更に言うと、浮遊する石段は「あの世」と「この世」を掛け渡す橋と見立てることができる。その証拠に、建物の四周には玉砂利が敷き詰めてある。玉砂利は枯山水でも用いられるが、作庭において「川」や「大洋」を表す。ここでは「三途の川」である。
この推論の妥当性は読者諸兄の意見を請いたい。


廊下を反対側から見る。


台形のキャンチスラブ。パースが利いて見える。


中には入れなかったが、ガラス越しに空間がわかる。

つまるところ、この建築は浄土世界の表象であり、アートであり、哲学そのものなのだ。白井晟一に大抵の建築家が追いつけないのは、建築が哲学そのものだからだ、と理解した。


松源寺 / 川島甲士 (1969)

 
曹洞宗のこの寺院は寛永6年(1629)にこの地に移されてから400年近くの歴史を持つ古刹だが、本堂は妙経寺と同じく川島甲士によりRC造で設計された耐火建築である。この寺院を特徴づける屋根は緩やかにカーブし、先端でくるんと曲げられて雨樋の代わりとなっている。軒の意匠を合理的にデザインしているようだが、先端はやはり雨垂れの跡が目立ってしまう。
またここは川島氏の葬儀を執り行った寺という。学生時代に建築家の墓について研究していたので、もしかしたら川島氏の墓も変わったものがあるのではないかという密かな期待もあったが、日も暮れてきたのと、その墓地は同型の石塔が整然と並べられている狭小墓地特有のものだったため、余計な詮索はせず帰路に着いた。

この日見た三つの寺院は、伝統を守りつつ革新する「守破離」が顕著にみられた。特に都心に新築する寺社建築は耐火建築物でなければ建築基準法上ダメなパターンが多く、コンクリートを用いていかに伝統を重んじる宗教建築をつくるかというのは関東大震災以降の日本の建築家たちに突きつけられた大きなテーマであった。単に使い古された形状をそのままコンクリートに当てはめたものではなく、コンクリートという材料を用いた新たな空間の試みが、この日見た三寺で確認できた。
近・現代の寺社建築は伊東忠太の「築地本願寺」以外ノーマークだったけど、ちょっと面白いかもしれない。


おわり