建築における「コンセプト」と「現実問題」について

昨晩、とある学生から下記のメッセージをいただいた。

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初めまして。
私はある大学の学部1年の者です。
突然失礼ですが、どうしても気になることがあるので質問させて下さい。
私は三分一博志さんの建築に対する考え方(動く素材[太陽、水、風など]を発見し、調査し、研究し最終的に建築の中に落とし込む)がとても好きで、自分もこういう思想を元に建築をつくっていきたいなと思っていました。しかし、実際に三分一さんの作品である六甲枝垂れを訪れてみて現地の人に話を聞くと、六甲枝垂れは六甲山の頂上にあり周りの湿度が高い上に建物の外部からの風や水を建物の内部に取り込んでいるため、建物内の湿度が高くなり、さらに夏の室温を下げるために冬にできる氷を貯蔵するための氷室を設置しているため、湿度が常に80%以上になり、室内にカビが生え、困っているとおっしゃられていました。その他にも困っている部分がいくつかあると聞いたのですが、これを聞いて、自分の中で理想の建築と現実の建築とのギャップに対する疑問が生じ、とても迷っています。
(中略)
具体的に言うと、三分一氏に限らず、多くの建築家の方々が各々の思想を建築に取り入れ、各々の思い描いた建物をつくろうとするわけですが、それに対して実際に建物を使用したり、管理する側の人間からすると後に予期しない事態などが起こり、その事態に対応しなければならないという現実があるという点に関して、それでも建築家はコンセプチュアルな建築を続けていくべきか否かということです。

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学部1年生というが、僕が1年生の時分にはもっとエゴイズムに溢れ、もっと単純に空間の在り方などといった絵空事について考えていたのだが、この質問を投げかけた彼は建築雑誌を飾る煌びやかな世界と現実とのギャップに直面し、その葛藤を吐露する。まだ恐らく10代の学生の極めて真摯な問いであり、またこの世界に属する誰もが一度は目の当たりにするテーゼでもある。
この無垢な質問に感心しつつ、なぜ僕なんかに質問するのだろうと当惑しつつ(笑) この場にて僕なりの意見を述べさせていただきたい。


まず「コンセプチュアルな建築」と「現実の問題」が彼の中では二項対立として存在し、彼はそのせめぎ合いの中で葛藤しているように見受けられるが、まず大前提としてこれらは対立項ではない。

ものを生み出すときに「コンセプト」は欠かせない。
経験的にいうとデザインは

 1)コンセプトを組み立てる
 2)与条件を洗い出し、整理する、紐解く
 3)形を生み出す

という3つの段階を経る。
これは全てのデザインにおいても言えることであり、逆にこれを逸脱したものはデザインと呼びづらい。
彼の言う「コンセプチュアルな建築」とは恐らく、1)のコンセプトが特に際立ち、現実の問題に対する解決はややおざなりになっているものを指しているのだと思う。

ローマの建築家ウィトルウィウスは建築の三要素を「用・強・美」と定めた。多少の解釈の違いはあれど、基本的にこの3つは時代を超えて通用する原則だ。即ち「用途、利便性、快適性」「構造的強度、堅牢さ」「美しさ、心地よさ」などと言いかえることができる。

彼の前半の話によれば、三分一氏の作った建築「六甲枝垂れ」がカビを始めとした諸問題を抱え、美しく明快ながらも管理者にとっては不都合な建物となっているらしいが、このカビ、そして恐らく結露は、当然ながら建築の寿命を縮める。言い換えれば「用・強・美」の「用(利便性)・強(強度)」が満足されていない状態だ。

極論を言えば、そんな現実問題を直視していないものは建築ともデザインとも呼べない、粗悪品だ、と声高に叫ぶこともできるが、それはデザインに対してあまりにも保守的な姿勢である。要はつまんねーヤツになってしまう。

本当に問題が起こると予想された場合、例えば誘発目地を入れなかったので外壁タイルにクラックが入ったとか、脳天シールが切れたので漏水したとか、ディテールで解決できたであろう努力を怠り瑕疵を引き起こしてしまったのなら設計者に問題があるが、現実には全ての問題を予測し事前に解決できる技術者の方がむしろ少ない。
それでも多くの建築家は、真に作りたいもののビジョンを明確に保持し、建築界に一石を投ずるべく巨視的・微視的な努力を重ね形を練り上げる。いつの時代もこうしたトライアンドエラーの上に、技術の向上は存在する。
かの丹下健三が設計した「国立代々木競技場(1964)」でさえも竣工時から鉄板屋根の漏水に悩まされたと聞く。名建築に漏水の話はつきものだという笑い話もあるが、まさしく前例のないデザインに直面したとき、あらゆる手段を講じて問題の予測おこない、解決に導くべく努力し、それでも起きてしまった問題に対して真摯に立ち向かう、それが技術者の態度としてふさわしいものではないだろうか。

僕は「明快なコンセプト」から発想しつつ「現実の問題」を解決するべく残りの想像力を動員し実現に向け努力すること、それが建築家及び設計者、デザイナーにとって必要な職能だと思っている。
諸条件・諸問題のインテグレーションの先に、本当のデザインの地平が広がっている。
決して「どちらか取ったら、どちらかを捨てなければならない」といった安易な二項対立に陥ってはならない。


こんなところでしょうか。