千葉日帰り建築めぐり

「ホキ美術館に行きたい」

動機はいたってシンプルだ。千葉市には社会人を始めて2年ほど住んでいたが、日々の仕事に忙殺され建築見学もろくにしないまま慌しく去ってしまった。しかしホキだけは見なければ建築に関わる者として恥ずかしい、そんな勝手な思いこみが日増しに強くなり、この間の連休を利用してようやく行くことにした。せっかく遠くに行くならその周辺の建築も見て回りたいというもの。そんなわけで今回も「旅行の設計」をもとに行きたいところをマイマップ上にプロットし、効率よくめぐるルートを組み立てた。同行者のささいさんは初めてお会いする方だったが、パンパンに膨れ上がった建築づくしの旅程にも理解を示し、「私も詰め込んでしまうタチで」と笑っていた。ステキだ。
ささいさんとは朝の8時半に合流し、千葉駅までは電車で向かい、駅前でレンタカーを借りた。
千葉の建築めぐりのはじまりはじまり。


千葉県立美術館 大高正人(1974)

朝9時から開館している県立美術館は建築家、大高正人による作品だ。大高氏は前川國男に師事し、1960年の世界デザイン会議をきっかけに槇文彦氏、黒川紀章氏らとともにメタボリズムグループを結成する。この美術館は大高氏がかつて中央図書館、文化会館と名作を生み出した千葉市の、湾岸に近い場所に佇んでいた。
外観は前川國男による上野の東京都立美術館に似たレンガタイルのキューブで、複数の展示室がクラスター状に配置されている。そのヴォリューム同士の隙間には休憩コーナーが設けられ、屋外の彫刻を眺めることができる。
各展示室の軸と、45度に振られた休憩コーナーへの軸が一点に交わる小部屋があり、そこに監視員が一人座っていた。監視員は一人で3つの展示室を監視する、いわばパノプティコン的一望監視がここでは意図されている。実用的だがやや息苦しいと感じたのは、僕らが作品を観るより先に「見られている」と意識してしまうからだろう。ここは視線の監獄なのだ。

 


この監獄展示室を抜けると、一気に天井が抜け、中央に塔を持つ大屋根の空間が立ち現れる。このドラマティックな吹抜けをもつ展示室は彫刻作品の部屋だが、作品群は特に空間との接点はなく、ただ並べられているだけに見えてしまう。この特異な空間を生かしきれていないが、学芸員側としても扱いづらい空間だと感じているだろう。
外部には出ることができたが、どこか散漫な印象を受けた。
展示内容、建築としても「いわゆる県立美術館」の域を出ないが、何より運営側の意識が変わらなければ作品の質も配置による空間との共鳴も生まれない。一度は訪れても良いが、再訪したいと思えないのが残念だ。


千葉県立中央図書館 大高正人(1968)


県立美術館がモダニズムとしての大高建築ならば、こちらはメタボリズムとしての大高建築だ。十字で構成されたPC(プレキャストコンクリート)梁のユニットが連続し天井を覆い、十字のPC柱がそれを支えている。PCはいずれも仕上として露出しており、梁の端部は切り落とされたように突き出して止まることで、建築構成の原理を表している。さらにこのPC梁の露出は外部にも連続し、垂木のようにリズミカルにスラブを支えることで内外一体となって空間原理を構成するフレームというエレメントの存在を強調すると同時に、無限に拡がる空間の拡張可能性を予感させる。メタボリズムとは、建築の構造に生命の新陳代謝を重ね合わせ、伸縮自在な空間の拡張と更新の可能性を示した運動だった。


外観と梁端部のディテール。

だがここで大高氏は終わらない。大高氏はコルビュジエの示した近代建築の原則と、生命の論理を持ち込んだメタボリズムに、更に日本建築の美意識をも掛け合わせ止揚を試みたのではないか、と思った。外部に突き出した型持ち梁は丹下健三の「香川県庁舎」を髣髴とさせ、朱色に塗られた外壁材と深い庇は神社の社殿を匂わせる。更に言うとこのコラージュ的様式の集積を、その次にやってくるポストモダンの萌芽と位置づけることもできるかもしれない。
外部を構成する白と朱とガラスのコンポジションは、内部のコンクリート剥き出しのブルータリティと一見無関係に思わせるが、内外を貫く十字のフレームというエレメントによって逆説的に一貫した構造的思想を際立たせている。どのような内部・外部の要求にあっても、メタボリズムはその外側、つまり要求を包含する大きな枠組みを構成する思想であり、ここではそれを実践をしていると言えそうだ。
しかし、写真の通り圧迫される印象はつきまとった。細部の情報過多のせいかもしれないが、それを受容するだけのリテラシーが自分には備わっていないのだとも思う。図書館という性質上、直接日光を入れることは難しく、薄暗く陰湿な空間になってしまうという理由もある。

 
上階は雨漏りやエフロが目立ち、何度も補修した跡が見られた。耐震は・・・と思って調べたら、案の定耐震基準を満たしておらず、5月から休館するとのこと。建て替えは時間の問題かもしれない。見学はお早めに。
県立中央図書館の一時休館のお知らせ


千葉県文化会館 大高正人(1969)


今日3つ目の大高建築は、先の図書館のすぐ隣に位置する大ホールを持つ建築だ。図書館とほぼ同時期に設計されたにも関わらず、ここで用いられる言語は図書館とは異なり、シンボリックで古典的でさえある。十字の軸上に、二方向のエントランスを配し、その直行方向にホールを構える。十字の交点は床壁石貼りのホワイエで、中心に向かって傾斜した壁が迫り、天窓へと視線を導く。図書館において顕在化した拡張可能性への示唆とはうって変わって、理性的な幾何学への陶酔を謳っている。

 
宗教施設と見まがう中央のホワイエ。石種と仕上げを微妙に変えている。


会議室棟。モダニスト大高正人、ここにあり。

この振れ幅には正直戸惑った。先の図書館と、同じ建築家がほぼ同時期に設計したものに到底思えなかったからだ。同一の人物ならばジキルとハイドのような多重人格者か、どちらもこなすむちゃくちゃ器用な人物だろう。今までよく理解していなかったが、どうやら大高正人という建築家は一筋縄ではいかないらしい。


シンボリックであるが、どっかりと翼を休めた巨鳥のように落ち着いた佇まいを見せていた。


日本キリスト教団千葉教会 リヒャルト・ゼール(1895)

こちらの教会はドイツ人技師、ゼールによって120年以上前に建てられた木造の小さな教会で、県の重要文化財に指定されている。解説には木造ゴシックと書かれていたが、どう見ても僕の知っているゴシックとは趣が異なる。
内部の見学は事前連絡が必要とのことで、外観だけ眺めるのみとなった。


千葉大学ゐのはな記念講堂 槇文彦(1963)


槇氏のごく初期の作品であり、日本においては名古屋大学豊田講堂に続く2作目であるこの講堂は、近年改修によってその姿を一新させた。力強いRCのフレームに槇氏のディテールが冴え渡り、初期作品にして完成されている。なんだこれ。

 


雨樋ひとつとっても丹念に設計されている。杉板の型枠跡も効果的で美しい。

中には入れなかったが、氏の大胆な発想と静謐な手つきが伺える良作だ。この頃の槇さんはRC一辺倒のブルータリストでそれもまた良い。


千葉大学新ゐのはな同窓会館 鈴木弘樹(2013)


ささいさんの紹介で、すぐ近くの同窓会館も面白い建築であることを知った。一見高層に見えるが、薬師寺三重塔のように裳階を廻したようなホールの1階+地下の諸室からなる。多重の庇はガラスボックスの日射を制御し、同時にこの建築をアイコニックなものにしている。白い庇は恐らくウレタン塗装だが、近づいて見るとやはり雨垂れの汚れが目立った。ガラスの清掃時は庇に乗っても大丈夫なのだろうか。

昼食は丸亀製麺でさっと済ませ、僕らは京葉道路を飛ばして次なる建築を目指した。


ホキ美術館 日建設計(2010)


戸建住宅街の只中に、その美術館はあった。地区計画や斜線制限からか地上レベルは抑えられ、代わりに展示室の半分以上を地下に埋めている。アプローチはゆったりと設えられ建物の中腹部から入るような格好だ。右手にカフェ、左手にミュージアムショップがあり、その奥から展示室が始まる。
内部は撮影禁止とのことだが、数多の雑誌やWebメディアで紹介されているのでそちらを参照されたい。
特に気に入ったのは展示室の照明で、天井に無数の小口径のスポット型LEDが埋め込まれ、複数の光をひとつずつ展示作品に照射していた。昼白色と電球色それぞれをミックスすることで、作品の繊細な色彩表現を可能な限りサポートしている。フジツボのように天井を覆う照明は、集合体恐怖症の方にはキツいかもしれないが、斬新で面白い。
絵画作品は膨大な写実主義絵画のコレクションで、風景画では植物の葉の一本一本、人物画では肌の透明感、衣服の質感、重量まで感じさせるような迫力に満ちていた。スーパーリアリズムは対象そのものを写真のように正確に描きつつ、写真を超える「芸術」となるべく筆を重ねる。対象をどこまでも具体的にカンバスに写し取る手法は、神への祈りとオーバーラップする。描くことは祈ることだ、と日本画家の千住博氏は言った。全くその通りだと、絵画たちを眺めながら思った。


再び外に出て外観を眺める。コンクリートの外壁をリズミカルに刻む縦のラインは、一見Rがかった型枠の目地に見えるが、ここまでの緩いRならこれほど型枠を刻む必要もなく、意匠的に付加しているようにみえる。


そして圧巻の30mキャンティレバー。本当に重力を感じさせず、浮いているようだ。この感覚、どこかで・・・と思ったらローマのMAXXI(ザハ)だった。ザハもプカプカ浮いていた。


職員用駐車場はなんと車路!日建らしからぬざっくりデザイン。

それにしてもお世辞にもアクセスの良い場所にあるとはいえない私設美術館がこれほどまでに賑わっていたのは、コレクションの質もさることながら話題性のある建築が後押ししているように思う。その意味で保木館長の先見性と、設計チームの提案力、ゼネコンの技術力が一体となり、記念碑的作品を生み出したこの事業は、やはり建築に関わる者として見ておくべき作品だった。RCはパタパタ仕上だねとか、東側擁壁沿いの植栽計画ミスったねとか、欠点を挙げようと思えば挙げられなくはないが、それを加味しても余りある「建築の強度」を思い知った。
惜しむらくはこの美術館の周辺に魅力的な施設がまだないことだ。住宅地という立地から建築単体で完結せざるを得ない(風景を見せられない)ため、塀はないが周囲から孤立しているように見える。
ならば逆に美術館を見る施設があっても良いのではないか。ホキ美術館をカッコイイ角度から臨むコーヒーの美味いカフェがあったらなかなか儲かると思う、というか行く。誰か作ってください。


DIC川村記念美術館 海老原一郎(1990)


DIC(旧大日本インキ化学工業)は建設業者でも塗装色などでなじみの深い企業で、そこが保有する絵画のコレクションを展示する美術館だ。割肌の桜御影石を積んだ西洋の古城のような2つの塔がそびえ、目前に白鳥が優雅に泳ぐ池を臨む。ロケーションは最高と言っていい。

 


ひとたび中に足を踏み入れると、2つの塔はシンボリックなホワイエであることに気づく。展示室は数棟の建物が繋がっているような形で、なかなか全容が掴めない。
肝心の作品は、まぁ知らない絵画を探す方が難しいってくらいに有名な作家の作品が丁寧に陳列してある。目玉はレンブラントの「広つば帽を被った男」で、国内に3点のみ存在するレンブラント作とされる絵画のひとつ。他にもモネ、ピカソ、ブラック、シャガール、ボナール、ルノワール、現代美術ではポロック、NYでハマったフランク・ステラ等々、欧米の美術館に匹敵する充実のラインナップだ。海外からの観光客も何組か来ていた。
眩いばかりの作品群に思わず「ここにある作品のいくつか、県立美術館に分けてあげたら良いのに」なんて冗談を言い合った。
時間も限られていたため早足で一周してしまったが、ここは是非また来たい。次来る時は、時間にゆとりを持って回ろう。


旧川崎銀行佐倉支店 矢部又吉(1918)
佐倉市立美術館 坂倉準三(1994)

旧川崎銀行佐倉支店として矢部又吉の設計により1918年、このレンガ造の建築は完成した。当時からもうすぐ100年が経とうとしているが、100年という短い時間に日本の建築が辿る道のりは諸外国と比べても圧倒的だった。ことに近代化の象徴がレンガ造の建築であり、やや内陸のこの町にとってこの建築が「新しい時代」の象徴であったことは疑いようがない。
元々佐倉藩が築いた城下町として栄えた佐倉は、武家屋敷群が点在し、いくつかは国や県の重要文化財に指定されている。その佐倉に突如現れた近代の象徴は、過ぎ去った時代の象徴として保存され、背後に坂倉準三設計の美術館ビルを抱える伽藍堂となった。


この空間は佐倉市立美術館のエントランスとして、またアートの展示室として利用されている。近代建築の保存方法は様々に試みられてきたが、こうして当時の状況を再現しつつ、現在でも利用されているというのはかなり幸運な残され方だと思う。

 
美術館のアトリウムと接続部分。

美術館の方は入館無料で、多くの子連れ客で賑わっていた。ベビーカーを押したママ友の集団もロビーに腰掛け、四方山話に夢中だった。要は地元のハブ施設なのだ。金沢の21世紀美術館に似て、アートと市民をユルくつなぐ地域に欠かせない快適な空間だった。
ただ僕らはホキ美術館や川村記念美術館の怒涛の作品群に触れたばかりで食傷気味だったので、展示室への入場は遠慮した。


佐倉の街並み
美術館を出ると日は傾きかけていた。時刻は17時を回り、美術館の係員さんも周辺で見られるところはもうないというので、周囲をぶらぶらと散歩した。旧城下町だけあって、至るところに蔵や古い民家が見える。


店蔵(見世蔵)。平入りと妻入り、漆喰の白黒を巧みに並置した優れた意匠をみせる。


バルコニーのある蔵。初めて見た。


店蔵と母屋からなる旧平井家住宅。


車庫と化した蔵屋敷。近代的な使われ方だ。

 
アートのようなトタン葺きの蔵と大谷石造の蔵。大谷石蔵を千葉で見るとは。

少し歩くだけでも建物単体として見ごたえがある蔵がいくつもあった。
しかし街全体には具体的な繋がりが見えず、全体でなかなか「景観」と呼べるものにならない。しかしこれが現代の、等身大の日本の風景なのだ、とも思った。伝建地区に指定され観光客に媚びて虚構の街並みとなるのも、価値が共有されずバラバラと空中分解するのも、どちらも今の日本の姿だ。
この絶望的な状況の突破口はデザインにある、いやデザインにしかない、とも思う。建築家、松島潤平氏の「ノスタルジー・リセッティング」という概念を思い出した。僕らは足を止めていられない。
佐倉に来るなら今度は早めに来ようと誓い、僕らは旅を終えた。

この日一日で千葉の多くの建築を目にした。いずれもその地域や時代を象徴するような建築ばかりで充実した内容になった。ホキ美術館に行くだけでも十分価値はあるが、少し足を伸ばしてその周辺を回ってみるのもぜひお勧めしたい。

おわり