すっぴん風メイクと建築


XBRAND掲載「美的」記事より

「すっぴん風メイク」や「無造作ヘア」などといった言葉を耳にしたことがあるだろうか。これらは僕ら人間のインターフェイスである顔や頭髪において、女性の厚めの化粧や、男性の整えた髪型に対するカウンターに位置するファッション用語である。
これらは往々にして「自然」や「無造作」をテーマに謳っているが、本当に「無造作」なのではなく、周到に準備された下地の上に成立するテクニックであることはよく知られている。
つまり「すっぴん風」であって「すっぴん」ではなく、「無造作ヘア」であって「ボサボサ」ではない。
その線引きは「一手間加えて洗練させる」といった手続きを経なければ到達し得ない意匠(デザイン)にあるといえるだろう。

建築でも「無造作」「無作為」を目指すデザインは数多くあるが、巧妙にデザインされている例は残念ながらそう多くない。


配管が露出した天井の例

卑近な例でいえば、既存の天井を取り払い配管や配線を露出させる手法は、手軽に天井高さを高く見せ、かつ均質な石膏ボードの天井面を荒々しく表情豊かな天井へと変化させる視覚的効果があり、現代においてカフェやアパレルショップ、カジュアルなオフィスなど至るところで見受けられる。近代建築において隠蔽されるべき建築設備が露出するこのドラスティックな意匠は、反面、うまく処理しなければとても見れたものではない。
(ちなみにこの手法は配管類を塗装しなければならないためコストがかさみ、清掃の手間や空調負荷が増大するなどのデメリットも多い)

また雑居ビル内の居酒屋やカフェの内装で躯体のコンクリートをわざと露出させている場合もよく見かけるが、目に見えてわかるぼこぼこしたジャンカや1㎜以上ありそうなクラックが平然と存置されたりして、建築屋としては「オイオイマジかよ」と思うことも多々ある。

「すっぴん」と「すっぴん風メイク」、「ボサボサ」と「無造作ヘア」という対立は、〈ありのままの状態〉と、前述の通り〈「一手間加えて洗練させる」ことで獲得されるもの〉という対立概念に還元される。
建築の意匠も同様に、一見すると素朴で荒々しい素材の構成を見せる場合でも、野暮に見せないようにつくるには入念に計画を練り、ディテールを詰める(=一手間加える)以外に術はない。

ここで、均質な素材で臓器を隠蔽するモダニズムと相反する「隠蔽しない」意匠であっても、モダニズムと同じ経路を辿らなければ到達できない領域にあるという逆説的現象が起きている点も見逃せないだろう。


「ラムネ温泉」藤森照信(2005)

例えば藤森照信氏のつくる建築はモダニズムとは遠くかけ離れて素朴で荒々しく、時にゆるふわ系で「カワイイ」と取られるかもしれないが、コンセントや照明器具、感知器、消火設備、防火設備をどう処理していたかと思いあぐねても思い出せず、その巧妙な隠蔽方法に思わず唸ってしまう。
モダニズムの厳格な表情と真逆の弛緩しきった表情を見せながら、メカニカルな部分は周到に隠蔽する、
言わば「すっぴん風メイク」的建築なのだ。女子力が高い。

モダニズム以降、建築の「お化粧」に対する批判はあって、仕上にタイルや壁紙を貼ったり、木目シートを使用するのは本質的なことではない、偽装だとする向きは少なからずある。
その彼らがしばしば賛美する安藤氏の建築などはコンクリート自身による「お化粧」の極地であり、石やタイルで仕上げるよりコスト的にも高くつくのだから実情はねじれている。
結局のところ、現代的な材料で、レディメイドのカタログから物を組み合わせて作る以外方法が限りなくない現代建築の事情を鑑みれば、「お化粧」と折り合いをつけて親和性を高めていくのが現実的なところだろう。

僕は彼らを非難するつもりもないけど、デザインに関わる以上、時代がどちらに振れても「すっぴん」ではなく「すっぴん風メイク」を、野暮より洗練を、心掛けていきたいなぁと思うのです。