ニューヨークの建築、アートめぐり(4日目)

4日目はきょうこ氏とエンパイアステートビルの前で待ち合わせたが、僕らも彼女も遅刻してしまい、エンパイアステートビル展望台の列で合流することになった。「待ち合わせに間に合わない」と慌てていた妻も、相手の方が遅れるとわかり余裕が出たのか、スタバでカフェラテを購入。冷えた手を温めながら、僕らは建物へのんびり歩いていった。


Empire State Building / Shreve, Lamb & Harmon (1931)
 
エンパイアステートビルに上るというのは、ベタだけど、実のところかなり楽しみにしていた。マンハッタンという島の地理を理解するのには、最も高いところから眺めるのが一番だというのと、旅行においてその「ベタな物語」を体験することはそれなりに意味があることだと思っているからだ。古典文学を読んだり名画を鑑賞するのと同様に、有名な景色とか体験は、自分と世界をつなげる手立てとなる。ローマにあるスペイン広場でアイスを食べ、真実の口に手を挟まれる真似をした人ならわかる、あの感覚だ。


さすが観光地だけあって、早朝にも関わらずチケット売り場は45分待ちだった。前2日が洒脱な場所しか行かなかったので、この成金趣味の、ちょっとした遊園地のアトラクションの列にぞろぞろと並ぶような感覚は悪くない。
ちなみに同ビルは2015 Worldwide Attraction Awardsという優れたアトラクションに与えられる賞において「最優秀展望台」賞を受賞したそうだ。僕らが行った後に受賞が発表されているため、現在ではこのとき以上に並ぶだろう。あらかじめ前売券を買っておくことをおすすめする。


エンパイアステートビルの建設現場で休憩する労働者たち(1930頃,Reutersより)

さてこのエンパイアステートビル、102階、443.2mもあるとんでもなく高いビルだが、1929年に着工、1931年に竣工という、実に2年間という恐ろしく短期間で建てられたビルでもある。徹底した合理化と省力化が図られ、例えば床スラブができるとそこにレールを敷いて台車で外壁材やサッシを運搬し、資材搬送の手間を省いたなど様々な工夫がなされたようだ。この辺りの説明は、ぜひ現地で音声ガイド(日本語)を借りて聞いてほしい。


展望台は想像通り人で混雑し、また風が強かった。


集積回路のように規則正しい街区に様々な形のビルが整然と並んでいる。


島の南側でひときわ高いビルが1WTCで崩落した世界貿易センタービルの跡地の脇に建つ。写真右側にある小さな三角形が自由の女神だ。とても小さい。

 
完成予想パースはjdsdevelopment.comより

東側を眺めていて、あの建設中のビル曲がってね?と思って後で調べたところ、SHoP Architects設計による626 First Avenueというビルだそうだ。2棟がそれぞれX軸、Y軸方向に屈曲しているという。イーストリバーから見える新たなアイコン建築となりそうな、アクロバティックな建築である。


北側遠望。数多のビルが建っているが、その中でもひときわ目を引くのはやはり2日目に見た432 Park Avenueだ。(写真やや右奥)
ところで、マンハッタンの建物は固有名詞でなく、街区の番号がつけられている場合が多い。2日目に見たOne57、601 Lexington Avenueなどが主な例だ。もともとは「○○(企業名)タワー」と名づけられているビルも、街区名称に改称されているケースもある(IBMビル→590 Madison Avenue、等)。常に超高層ビルの建設が続き、建物が売却され所有者が変わることが多いマンハッタンでは、地番と建物名を揃えることは理に適っている。


島の西側では新たに傾斜した超高層ビルが建設中だ。このビルは10 Hudson YardsというKPF設計のオフィスだが、これについては5日目に触れたい。

やはりこうやって360°見渡すと、狭い島ながら現在でも活発に開発が進行していることがわかる。ニューヨークはやはり動的でダイナミックな都市だと確認できた。超高層ビルの展望台に行けた収穫は大きい。
エンパイアステートビルを後にした僕らは、5th Avenueを南に歩いていった。しばらく歩くと左手に刺激的な文字の書いてある建物が見えてきた。


Museum of Sex


その名も「セックス博物館」。1階をミュージアムショップ、2〜4階を博物館として運営しているこの刺激的な建物は、歓楽街にひっそりと佇むでもなく、やけに堂々としたファサードでファッショナブルな性生活を明るく提唱している。扉の把手が「X」字になっているのも凝った意匠だ。
店内は清潔感のある白色にまとめられ、セルフプレジャーグッズから各種コンドーム、ヌード写真集などなどがオシャレに陳列されている。
1階の店舗を一通り見た後、2〜4階のミュージアムに足を運ぶ。

 
展示品はさしたる貴重なものはなさそうで、セックスにまつわるカートゥーンや映像、オブジェが薄暗い室内に並べられている。日本で言うところの珍宝館、つまり性交渉にまつわる考現学資料館である。なるほど、なるほど。
最後はなぜかパスポートを提示させられ、器物損壊について当館は責任を負いません的な書類にサインを求められた。何事かと思いつつ狭い通路を進むと、そこには床や壁に巨大な○○○が!・・・あまりにバカバカしくて笑った。何があるかはご自身の目で確かめていただきたい。
この性に関する過激(?)なミュージアムがニューヨークのど真ん中にあるという現象は、ニューヨークの懐の深さを図らずも思い知らされた。もちろんこういった施設の存在を不快に思う人もいるだろうし、アメリカは日本以上にポルノメディアに対する風当たりが強いと聞くが、是非がんばって反旗の狼煙を上げ続けてほしい。欲を言えば、よりよいキュレーターに展示品のキュレーションをお願いしたい。


Flatiron Building / Daniel Burnham (1902)
 
フラットアイアンビルはマンハッタンでは珍しいその立地特性と、ボザール様式によって端正に整えられた容姿から、マンハッタンを象徴するビルとして110年以上この地に佇んでいる。「フラットアイアン」という名称はこの建築が鉄骨造であることからきていると思っていたのだが、調べてみるとこの土地がもともと「フラットアイアン」との愛称で呼ばれており、このビルが建つまで開発されることはなかったという。シカゴ派のダニエル・バーナムがこの地に建物のデザインを依頼されて用いたのは、ボザール様式、それもモダニズムとネオクラシックを融合させた斬新なものだった。先端は細くわずか2mほどしかないにもかかわらずゴツい装飾的な石で覆うため、特に納まりに配慮したようだ。彎曲した上げ下げサッシなど施工も困難だったと思う。


建設中(Wikipediaより)


先端内観(Wikipediaより)

ちなみに内部からみるとこのようになっている。マンハッタン島に浮かぶこの船の舳先は、ダイナミックに変わりゆく街を見つめていたのだろう。


Limelight Market Place(Limelight Shops)

教会をリノベーションした吹き抜けのある市場というので見に行ったが、内部は天井が張られた普通の店舗になっていて、どうやら再改装されてしまったようだ。


元の姿(shophex.comより)

これが見たかっただけに残念。

昼は日本食が恋しくなったので、大戸屋に入った。アジア系の店員が「イラッサイマセー」と元気よく挨拶するのに面喰いながら、古民家風の階段を上る。日本では普通の和食ファミレスチェーンでも、NYでは少々割高になるが、その代わりボリュームも1.3倍くらいあり腹一杯になる。
日本食は割高でも人気のようで、僕らも20分ほど待った。きょうこ氏によるとラーメンの一風堂、焼き肉の牛角などはとても人気で、なかなか入れないらしい。
お腹を満たした僕ら一行は地下鉄に乗り、ニューミュージアムに向かった。


New Museum of Contemporary Art / SANAA (2007)
 


SANAA西沢立衛妹島和世)による現代アートを展示するニューミュージアムは、この旅で特に見たかった建物のひとつだ。様々な形のボックスを積んだような外観は色彩の派手さも形態の突飛さもないが、都市におけるアイコンのひとつとして定着している。外壁はアルミパネルの上にエキスパンドメタルを組み合わせた二重皮膜になっていて、1階はガラスのカーテンウォールで解放されている以外はほとんど閉じている。GAJapan90(2008年1・2月号)の対談で「倉庫をラフに積む」と表現していたが、まだ価値の定まっていない作品を展示する質素な箱を垂直に積み上げたような肩肘張らない「ラフさ」はMoMAやメトロポリタンにはないアートの「新しさ」に建築が寄り添っていると言ってもいい。

僕らはまずEVで最上階まで上がり、そこから徐々に降りることにした。NYで訪れた他の美術館同様に、展示室に順路はない。
美術館の展示方式は順路があるか無いか大きく2つに分けられる。企画展などはベルトコンベアで運ばれるように順路に従って展示品を観賞することで、キュレーターの意図したストーリーを読み解く。明快で全ての作品を見落としなく見ることができるという利点もあるが、退屈な作品もずっと眺めていたい作品も同じような速度で観賞することを強要される。その点で順路が無いものはいつまでも好きな作品の前にいても良いし、一通り見終わった後で戻ることもできるし、興味のない作品ばかりなら展示室に入らなくてもよい。後者の方がよりアートに対する主体性が求められる。この美術館は後者に属する。


EVで上がった7階は屋上に出ることができた。この上は機械室となっている。

 
バルコニーは部屋内側に排水溝を持ってきているけど、逆勾配はリスキーで普通あまりやらない。また外壁面をよく見ると、エキスパンドメタルはアルミの外壁から持出し金物でリベット留めされている。


サッシ周りの排水溝とAC吹出口、鉄骨の納まりはさすがSANAA。シュッとしている。鉄骨背面の吹出口はさすがにフェイクかな。


6階はオフィスなので5階へ。ぺリメーターの納まりもきれいだ。


非常階段を下りて下階のギャラリーへ。非常階段といえど主要な動線部であるのに、蛍光灯はむき出し、床もモルタル仕上と建築でいえばやや“粗末な”仕上だ。あえて割り切ることで、バラック感、いわば倉庫リノベーションの延長をここでやろうとしているように思える。高価な美術品を納める宮殿がオーセンティックな美術館の姿ならば、まだ価値の定まらない前衛アートを納める箱は倉庫の方が似合う。


階高の高い展示室はジム・ショー(Jim Shaw)という社会派ビジュアルアーティストの個展を行っていた。

 
1階へ下りる階段は狭く、ボリュームの隙間にいるようだ。こういった建築的な空間が1か所でもなければ、本当に機械的な箱になってしまう。


こちらは地下に下りる階段。


地下のトイレは大胆にモザイクタイルを用いている。


エキスパンドメタルを張ってつくられた書棚は透け感が美しい。書棚にエキスパンドメタルを張ろうなんてなかなか思いつくもんじゃない。


人がいなければスケール感がわからない。

ボリュームを重ねた外観に反して、内部からそのダイナミズムを感じられるようにはなっていなかったのはやや予想外で残念だったが、アートと対峙するときに、建築とアートの相互侵犯的な関係性を持たせるべきかというのは常に課題になる。その意味では象徴的な吹き抜けを有するMoMAと対極にあり、内側からは建築の個性を抹消するような手続きとし、外側からは周囲と調和しつつ単調にならないオブジェとして練り上げた結果がこのニューミュージアムの姿だとすると、落とし所として納得できる。ニューミュージアムは決して完成された建築ではないが、両腕を失ったがゆえに無限の存在へと昇華されたミロのヴィーナスのごとく、アート、すなわち人間の想像力に天井が無いことを示すプロトタイプになりえる。それは連綿と続く人間の営為そのものであり、営為の一端にこの美術館があるといっても決して言い過ぎではないだろう。

一行は今日最後の目的地、MoMA PS1を目指した。
Spring St駅から6番線に乗ってGrand Central駅に行き、7番線に乗り換えてCourt Sq駅で降りた時には辺りは夕闇が立ち込めていた。


22-22 Jackson Avenue / ODA (2016)

MoMA PS1の通りを挟んで向かいにちょっと変わった建物があった。ODAという事務所が設計した22-22ジャクソンアヴェニューという建物で、コンドミニアムのようだ。まだ1階は内装仕上中だが、明快なコンセプトが一見してわかるというのは清々しい。


MoMA PS1 (1971)


もともと学校であった建物をリノベーションしてMoMAの別館にしたのがMoMA PS1だ。PSとはPublic Schoolの略らしい。MoMAが近代アートの殿堂なら、こちらのPS1は現代アートを取り扱う。そのため、先ほどのニューミュージアム同様にラフな建物だ。


黒板には館内のマップがラフに描かれている。黒板という学校のモティーフをうまく利用するのも校舎リノベーションの醍醐味だ。


わずか50歳でこの世を去ったスコット・バートン(Scott Burton)の椅子の部屋。


人型作品のコーナー。人の形というのは心理的にクるものがある。


スーパーリアルな逆さまの人。

 
絵画かと思って角を見たらピースが嵌めこまれている立体作品。凝っている。

 

 
僕の好きな建築家・思想家レヴェウス・ウッズのドローイングと立体作品。立体は初めて見たので興奮した。うーん、かっこいい。


土産物にある建物の置物をグリッド状に並べ、比喩的にマンハッタンの都市批判をする作品(だと思う。かわいい)

現代アートというのは社会的背景や芸術史を含む歴史一般の知識を総動員しないと読めない難解な作品が多いため、大量に見ると脳の情報処理が追いつかず「かわいい」とか「かっこいい」とか小学生並みの感想しか言わなくなるので注意が必要である。
古典的な芸術に比べ価値基準や制作・表現方法が多様化し表現の幅が広がった一方、価値が現在進行形で流動するのが現代アートだ。ある批評家は「現代アート作品としてギャラリーに展示されている9割はゴミ」と評したが、現代アートの価値は今を生きる我々によってまさに見出されるものだ。それゆえ価値が定まり安心して見ることができる芸術作品に比べ難解だと言われるが、逆に言えば僕らがコミットする余地が全然あるということだ。そこには希望がある。
駆け込みで入り閉館まで見尽くしたが、非常に濃密な時間を過ごすことができた。


2つの美術館をハシゴして現代アート作品群にふれたせいで食傷気味になったためか、夕飯は再度和食をセレクト。きょうこ氏に連れられて入ったのは「にっぽり」という店で、ラーメンとんかつ寿司餃子(和食?)なんでもこいの素敵なお店だった。日本食が恋しくなれば是非こちらのお店へ。
http://www.nipporinewyork.com/

2日間アテンドしてくれたきょうこ氏ともこれにてお別れ。僕らは彼女に感謝を言いホテルへ戻り、彼女は翌日ボストンへと戻っていった。

(5日目に続く)